信じられない思いで先生を見ていると、
「あのときの女の子が自分の勤める音楽教室に来たのは何かの縁かな、と思いまして。基本、受験生は受け持たない主義なのですが、受け持つことにしました」
 人との出逢いや物との出逢いってあるのね……。
 私はあの日弾いたピアノの音が忘れられなくてピアノを始めたし、お母さんが持っていたCDを聴いて間宮さんの演奏に憧れた。そしたら、間宮さんが使っていたというピアノに出逢い、今度はピアノの手ほどきをしてくれたお兄さんと再会――。
「びっくりしましたか?」
「びっくりしないわけがないじゃないですかっ!」
「そうですよね、僕も驚きました」
 先生は相変わらずクスクスと笑っている。
 そこに突然電子音が割り込んだ。
 ピリリリリ、と鳴ったのは先生の携帯電話。
「ちょっと失礼します。……仙波です。――今からですか? ――はい、十分以内にうかがいます」
 短い会話をして切ると、今度は自分から誰かに電話をかける。
「あ、柊ちゃん? 今、まだ学内だよね? ――声楽の荒木田先生にお会いできることになったから紹介するよ。今どこ? ――わかった。じゃ、美術館の入り口で待ち合わせよう。――じゃ、あとで」
 先生は席を立ち、
「柊ちゃんを声楽の先生に紹介してきます。十五分ほどで戻りますので、御園生さんはゆっくりしていてください。ピアノは好きに触っていただいてかまいません」
 言うと、先生は足早に応接室を出て行った。

 ピアノを弾いていていいと言われても、右手は使えないのだけど……。
 テーピングされた右手を見つつ、
「あのときのお兄さんが先生だなんて……」
 人生とはわからないものだ。
 これはもしかするともしかして、あのとき声をかけてくれた男の子にもいつかどこかで会えてしまったりするのかもしれない。
 そんなことを考えながらお茶を一口飲み、ピアノへ向かう。
 グランドピアノの蓋を開け、キーカバーを外してため息ひとつ。
 白鍵は人工象牙だし、黒鍵は色に深みのある黒檀。
 応接室に置かれたピアノだというのに、一千万円クラスのコンサートグランドとはどういうことだろう……。
「さすがは御曹司……」
 ツカサたちも「御曹司」であることに違いはないけれど、ごくたまに「御曹司」を感じる程度で、日に何度も意識することはない。
 それは一緒にいる時間が長くて慣れてしまったからなのだろうか。
 高級感溢れる鍵盤をいくつか沈ませる。と、狂いのない音が響いた。
「調律も完璧」
 そりゃ、自身で調律できるのなら、それも当たり前といったところか――。
 私は椅子に座り、懐かしさからモーツァルトのきらきら星変奏曲を弾く。とはいっても、右手は使えないので左手のみ。
 初めて教えてもらった曲が「きらきら星」だったからなのか、この曲には思いいれがあって、ピアノの前に座ってはちょこちょこと弾く曲だった。
 間宮さんのピアノよりもタッチが軽くて弾きやすい……。
 そんな感触を得ながら指を走らせる。と、ガッチャ、というドアの開く音が室内に響いた。
 演奏していたから気づかなかったとかそういうことではなく、ノック音はしなかったと思う。
 びっくりしてそちらに目をやると、髪をオールバックに整え燕尾服に身を包んだ男子が立っていた。