互いに飲み物を口にして、先ほどの話に戻る。
「私が御園生さんを担当しようと思ったきっかけは演奏なんです」
「え……?」
 先生はにこりと笑い、
「教室に入る際、演奏技術を見せてもらうためにピアノを弾いてもらったでしょう? その演奏を別室で聴かせていただいていました」
 そのときの演奏を思い出して悩む。
 あのとき、私はさほど完成度の高い演奏はできなかった。その演奏のどこに何を感じてくれたというのか。
「なんだか悩ましい表情をしていますね?」
「えぇと……先生は私の演奏のどこに何を感じてくださったんですか? あの日の演奏はどこを取ってもいい部分はなかったように思います」
 あ……むしろ、演奏技術が低いから受け持とうと思った、とか……?
 普通に考えるならリスクのある生徒を受け持ちたいとは思わないだろう。でも、仙波先生は逆境に立ち向かうのがお好き、とか……?
 うかがうように先生を見ると、先生はとても穏やかな表情で私を見ていた。
「音楽って、演奏技術だけがすべてではないでしょう?」
「え……?」
「音です」
 お、と……?
「私は御園生さんが奏でる音に惹かれました。だから、受け持ちたいと思った」
 思いもしない言葉に不意をつかれ、次の瞬間には頬が熱を持つ。
「音が好き」なんて言われたことない……。
 しかもそれは、私の中で最上級の褒め言葉でもある。
 わ……どうしよう、嬉しい――。
 一瞬にして舞い上がった気持ちは天井にぶつかって落下する。
 その言葉を信じられたら嬉しいけれど、信じるには無理がある。
 何せ、目の前に座っているのは現役ピアニスト様なのだ。
 それも、緻密で繊細な演奏に定評のあるピアニスト。
 そのピアニスト様に、そんなふうに言ってもらえる音を自分が奏でられている気はしない。
「なんだか疑いの眼差しで見られている気がするのですが……」
「だって……音が好きだなんて、そんなふうに言われたことなくて――それに、現役ピアニスト様にそんなふうに言ってもらえる音を奏でられている気はしないし……」
 もごもごと口にすると、
「御園生さん、感じ方は人それぞれでしょう?」
「それはそうなんですけど……」
「君の音はとてもおおらかであたたかい。丸みのある優しい音だと思います。僕には懐かしさを感じる音でもあって、ずっと聴いていたいと思いました。この気持ちは素直に受け止めていただけると嬉しいのですが」
 先生の真っ直ぐな目と声にはお世辞が含まれているようには思えなくて、私は赤面したまま「ありがとうございます」、とその言葉をひとつ残らず心の宝箱にしまうことにした。