昇さんは足を正面にして、
「楓、洗面器に水」
「了解」
 おそらく、湿布を剥がす衝撃を軽減するために濡らすのだろう。
 不思議そうとも不安そうとも取れる表情をしている翠には、栞さんがその旨の説明をしていた。
 栞さんの説明が終わるなり、
「翠葉ちゃん、これ、かなり痛いだろ?」
 昇さんが唸りながら尋ねると、
「えぇと……怪我した直後にロキソニンを飲んだんです。だから、そこまでひどい痛みではなかったんですけど、さすがに時間切れでしょうか……。少し前からズキズキしてます。でも、耐えられるか耐えられないかと訊かれたら耐えられないほどではな――」
 言葉半ばで翠はデコピンを食らう羽目になる。
 なんていうか、そこ、我慢するところじゃないし……。
「翠葉ちゃんの痛みに対する耐性はわかっちゃいるが、こういうのは我慢していいことなんてひとつもない。ちゃんと処置しないと長引くし熱が出ることだって――」
 翠は空々しく視線を逸らす。
 そんなわかりやすい動作をするバカがあるか……。
 ため息と同時、
「翠、自己申告を勧めるけど?」
 上目遣いの翠と視線が合い、翠は残念そうな表情で携帯のディスプレイを表示させ、昇さんへ差し出した。
「なんだ、もう発熱してんのか。しかも、ロキソニンを飲んだのが何時だって?」
「ワルツ競技の十五分前だったので、五時前です」
「で、今が七時四十分、と。翠葉ちゃんは効き始めるのも早いけど半減期も早いからな……こんなもんか」
「ごめんなさい……」
「いやいや、謝られてもな……。ところで、ワルツ競技の前って、翠葉ちゃんワルツの代表って言ってなかったか?」
「言ってました……」
 翠はまたしても顔を背ける。
「ははぁ……できる限りの処置をして出た口だな?」
「ごめんなさいぃぃぃ……」
 平身低頭の姿勢を取るが、ソファに座る翠の正面に膝を着いている昇さんのほうがどうしたって低いわけで、なんとも意味のない動作だ。
 昇さんはここぞとばかりに翠の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。そこへ兄さんが洗面器を持ってきたところで診察を再開した。
「昇……これ、骨までいってないわよね?」
「ま、歩けてんだからいっててもヒビくらいじゃね? 実際のところは剥がしてみねえことにはなんともな」
 そんな会話に翠はびくびくしている。
 これだけの怪我を隠していたのだから、このくらいの仕打ちは受けてしかるべき。
 ゆっくりと湿布が剥がされ肌が見えると、足の脛全体が真紫に変色していた。
 腫れている、というのもあるが、おそらくは強く擦ったのだろう。かなりひどい内出血の状態だった。
「こりゃまた派手にやらかしたな。何がどうしたらこんなになんだか……」
 一同呆気に取られているところ、
「翠に嫉妬した女子に階段から突き落とされてこうなった」
 事情を含め簡潔に話すと、
「そりゃまたえらい目にあったな……。ま、予告なく突き落とされたらこうもなるか。ちょっと触るぞ」
 昇さんが言いながら手を近づけると、同じような要領で翠の足が逃げた。しかし、その動作にすら痛みが走るのか、翠は顔をしかめる。
「翠、少しの間我慢しろ」
 むしろ、我慢とはこういう場でするものなんだが……。
 居たたまれない翠を横目に見つつ、
「昇さん、とっとと診てやってください」
「はいよ」