息を弾ませた女子が階段を上がってきて翠のクラスへ入ると、
「翠葉ちゃーん、藤宮先輩が迎えに来てるよ!」
 そんな声が中から聞こえてきた。
 その直後に簾条が出てきたが、俺になんの文句も言わないところを見ると、まだ簾条は知らないのかもしれない。
 怪我が軽いならここまで隠さなくてもいい気がするし、怪我が軽いからこそ人に言うことではないと考えるのか。それとも、怪我の程度が重いからこそ人に知られることを避けているのか――。
 翠の気遣いレベルを考えると、どれもあり得そうで答えが定まらない。
 そんなことを考えているところに翠が出てきた。
 音もなくドアを開き、同じようにそっとドアを閉める。その姿は優美そのもの。
 ドレスは一緒に選んで知っていたが、実際に着ているところを見るのは初めてで――。
「御園生さん、超きれいっ!」
「なんていうか、美しいよな……」
「藤宮先輩羨ましいです!」
「おまえ、彼女いんじゃん」
「おまえだってっ!」
「いや、もうなんていうか彼女とは別でしょ。姫は観賞用」
 そんな数々の声を聞きつつ、エスコートに出遅れる程度には俺も見入っていた。
「お待たせしました……」
「どういたしまして」
 ようやく左手を差し出すと、恭しく右手が乗せられる。
「足は?」
「えぇと……」
「正直に話して」
「少し痛い……」
「本当に少し?」
「……だいぶ痛かったけれど、今はお薬が効いているのか、少しよりちょっと痛いくらい」
「踊れるの?」
「踊るよ」
 それまでより少し芯の強い声音に、
「強がり?」
 尋ねずにはいられなかった。
 翠はどこかいたずらじみた表情で、
「どちらかと言うなら負けず嫌い」
 と小さく口にした。

 階段に差し掛かる手前で足を止め翠を抱き上げる。と、
「わっ……運んでくれなくても大丈夫だよっ!?」
 まだ患部を見せてくれないのなら、
「階段の上り下りくらいは言うこと聞いてくれていいと思うんだけど」
 翠の目をじっと見つめると、翠は恥ずかしそうに目を伏せ首へ腕を回してくれた。さらには、いつか秋兄にしていたように身を預けてくれるから嬉しくて、翠を抱えるには不必要な力が腕にこもる。
 翠に過度な振動を伝えないよう、一歩一歩ゆっくり確実に足を運ぶ。
 たぶん、少しずつだけど着実に、翠のバリケードは緩んでいっている。しかし、その越えられそうで越えられない障害物が、「最後の一歩こそ慎重に」と言っている気がしなくもない。
 三階から二階まで下り翠を廊下へ下ろすと、
「どうせなら一階まで下りてくれたらよかったのに……」
 思いもしない言葉に笑みが漏れる。
「それじゃつまらないだろ?」
 翠は不思議そうに首を傾げた。
「テラスから桜林館に入れば観覧席からフロアへ下りる際も横抱き確定。つまり、ペナルティを負ってる人間には面白くない光景になると思うけど? いっそのこと、みんなの前で口付けようか?」
 これはたぶん、翠を突き落とした人間へ向けての制裁などではない。ただ、翠は俺のものだと誇示したいだけ。
 そんな俺の意図に少しも気づかない翠は、
「キスはだめ。それと、怪我したって思われるのも悔しいから抱っこもだめ。その代わり、怪我をしているだなんて思われないようなエスコートをして?」
 と、無理難題を要求してくる。
 でも、「だめ」という言い方や仕草がかわいくて、さらにはねだり口調がかわいくて、
「負けず嫌いの過ぎる姫だな」
 俺は反論するどころか快諾してしまった。