観覧席から拍手を送られる中、対岸の二列目に整列していた翠へ向かって真っ直ぐ歩く。が、それに気づいた翠は回れ右をする始末。
 ……まさか、今朝のちょっとした意地悪の報復か何か?
 もっとも、そんな態度をとられても逃がすつもりはないけれど。
「翠」
 声をかけると翠は足を止めはしたが、こちらを見ようとはしない。どちらかというなら、翠の正面に立つ飛翔の顔を見上げているように見える。しかし、飛翔はひどく面倒くさそうな表情をするのみ。
 もう一度名前を呼ぶと、翠は渋々といった感じでこちらを向いた。その顔が赤すぎて不安になる。
「発熱?」
 翠の額へ手を伸ばすと、今度は大仰に避けられた。
「翠……?」
 翠は何を言うでもなく俯いてしまった。
 もしかして、具合が悪いのか? でも、俺に知れたら姉さんのところへ連行されるのがわかっているから避けようとした……?
 そんな憶測を遮るように、飛翔がわざとらしいため息をつく。
「ったく面倒くせぇ……。コレ、たぶんですけど、先輩の応援姿だか長ラン姿に赤面しただけですから」
 ……なんだ、そんなこと。
 ほっとした俺は翠の頭に手を乗せ、
「発熱じゃないならいい。痛みは?」
 翠ははっとしたように顔を上げ、
「それは大丈夫っ」
 ようやく目が合った。しかし……こいつ、どれだけ俺の容姿が好きなんだか……。
 飛翔が呆れるのも無理はない。こんなにも赤面して、挙句無言になってしまうほどなのだから。
 まじまじと見ていると、
「そんなに見ないで……」
 情けない表情の翠がおかしくなり、笑いは喉でとどめることができずに口から出ていく。と、翠は情けない表情に拍車をかけ、こちらに背を向けた。
 いじめているつもりはまったくないけれど、翠からしてみたら「意地悪」と言ったところか。
 翠を追いかけようとしたところ、
「翠葉っ、司っ! こっちこっち!」
 階上から聞こえてきたのは海斗の声。
 そちらを見ると、海斗とカメラを構えた男がこっちを見下ろしていた。
「ほらほら、ふたりとももっとくっついて!」
 言いながら、容赦のない力で俺を押したのは風間。
 咄嗟に力を殺すよう努力したものの、勢いをすべて殺すことはできずに翠とぶつかる。
 翠に大丈夫だったか問おうとしたその時、桜林館中に女子たちの金切り声が走った。
 何が起こった……?
 疑問に思っていると、
「ふたりとも、今日の後夜祭は大変そうだな? ふたりがワルツでも踊ろうものならどんな騒ぎになることか」
 風間に言われて金切り声の原因を理解した。