「たぶんこれからも、何かにつけて『価値観の差』は出てくると思う。そのたびに翠を傷つけるかもしれない。でも、傷つけようと思って傷つけてるわけじゃないから、それはわかっていてほしい。それから――『価値観の違い』があったとして、翠の価値観が理解できなくても認めないわけじゃないし、わかろうとしないわけでもないから――無理に割り切らないでほしい」
 つないでいる手に力をこめてしまったのは無意識だったと思う。その証拠に、翠に同じくらいの強さで握り返されて初めて、力の強さを知った。
「ツカサ、ごめんっ。昨日、ごめんね? 突き放すような言い方して、ごめんなさい」
 謝罪六回目。「ごめん」の個数を言うなら八個……。
「いや、いい……。先に翠を傷つけたのは俺だから」
 本当に、これ以上謝られるのは勘弁願いたいわけで……。
 どんな言葉を口にしたら謝られないで済むのか――。
 そんな考えに及んだそのとき、翠は俺の正面へ回り込んだ。
「ツカサ、たくさん話そう? すれ違ってもケンカになっても、私が泣いても何してもっ。……時には時間を置かないと冷静に話せないこともあると思う。でも、時間を置いたらちゃんと話そう?」
 真っ直ぐな視線に真っ直ぐな言葉。
 翠においてこんな行動は珍しくもなんともない。きっとこれから何度でも、同じ視線を、真っ直ぐな想いを向けられるのだろう。
 そのたびに、俺は心臓を鷲づかみにされた気分になるに違いない。
「話すの、苦手なんだけど……」
「……私だって苦手だもの。……でも、話そう? 話さないとわからないこと、たくさんあると思うから」
 翠が言うことは間違っていない。
 話さないとわからないことはたくさんあると思う。それでも、苦手意識が先に立つ。
 さらには、話す内容がないと天気の話しかできない俺たちにはハードルが高い気がしてならない。
 あぁ、今までの会話に互いのスケジュール確認を増やせばいいのか……?
 ひとつ項目が増えたところで天気予報とスケジュール確認のふたつ。ほかに何があるのか――。
「私はツカサのことを知りたいと思うけれど、ツカサは――ツカサは思わない? ……それなら、私にしか利点のない話だから考え直さなくちゃいけないけど……」
「いや、別に知りたくないわけじゃなくて……」
 自分の考えが見当違いだったことに気づいた。
 ただ間を持たせるための会話には戸惑うが、翠に関して知りたいこと、というなら話は別。
 御園生さんからもたらされた知識は膨大にあるものの、翠自身に訊きたいことならいくらでも出てきそうだ。
 しかし、様々な話をした末に見解の相違があった場合はどうなるのか――。
「……それ、話した末に理解されなかった場合、どうなるわけ?」
「え……?」
「……だから、考えとかその他もろもろ、話した末に理解されなかった場合、どうなるのかを知っておきたい」
「え? それは……――ツカサと同じだよ」
 翠はきょとんとした表情で答えた。
「同じ……?」
「ついさっき、言ってくれたでしょう? 『価値観の違い』があったとして、私の価値観が理解できなくても認めないわけじゃないし、わかろうとしないわけでもないからって……。それと同じ。知らないことは知りたいと思う。でも、知って理解できないからって嫌いになるわけじゃないよ?」
 最後ににこりと笑みを向けられ、明らかな不意打ちを食らった。
 うっかり上気してしまった顔を見られることを避けたくて、咄嗟に翠を抱き寄せる。けれど、本当のところはどうなのか……。
 屈託なく受け入れられたことが嬉しくて、思わず翠を抱きしめてしまった気がしなくもない。
 ……もっとも、俺が翠に対して発した言葉を返されただけにもかかわらず。
「どうして、赤面したの?」
 胸元から小さな声で問いかけられる。が、その言葉に返答などできるはずもなく、どんな言葉なら現状を取り繕えるのか、と考える。
 翠がもぞもぞと動き始めたとき、ようやく口を開くことができた。
「今の、忘れるなよ?」
「え?」
「今の、忘れるなよ?」
「今のって、どの部分? 赤面?」
 最悪な問いかけに思わず苦笑いを浮かべそうになる。
 必死に留めた末、俺は満面の笑みを翠へ向けた。
「知って理解できないからって嫌いになるわけじゃない、って部分」
「……そんな凄むような笑みを向けなくても忘れないよ?」
 翠はクスクスと鈴を転がしたような笑い声を立てる。
 取り繕うことに必死な自分と比べたら翠は断然余裕そうで、それが悔しくて、気づけば翠が困るような言葉を繰り出していた。
「翠はまだ、俺の性癖を知らないだろ?」
「え……? ……せい、へき……?」
「そう。性格の性に癖と書いて性癖」
 翠が漢字を把握したところで前を向き歩き出す。と、
「えっ!? ツカサっ!? ちょっと待ってっ!?」
 背後から聞こえてくる翠の慌てた声に口元が緩む。
「もっと慌てろ」
 そんな言葉が漏れる程度には仕返し染みた言動だったと思う。
「待ってってばっ!」
 数メートル後ろからの言葉に振り返ると、翠が大きく足を踏み出したところだった。
 ころころと表情を変える翠をかわいいと思いながら、
「走るなよ」
 俺は笑みを浮かべて釘を刺した。