「…。」

ビルを見上げる。無音のため息が、唇の隙間からこぼれた。

「大丈夫か?」

頭の中で、菜月くんの声がした。…大丈夫。こんなので立ち止まってたら、ここを辞めた後の私が泣いてしまう。

私は右足から、ビルへと足を踏み入れた。

「あっ、おはようございます、支店長。」
「おはよう。」

いつもと変わらない様子で、後輩の子達が挨拶をしてくる。…そうか、皆はまだ、今日で終わりじゃないんだよね…。

「さてと…。」

平常心、平常心。自分に言い聞かせ続けていると、いつもよりも自然で落ちついた気持ちになれた気がした。

「今日は…あ、そうだ、この人だ…。」

最後の人の名前を見て、私は最初の時のように不安になった。

西郷龍馬(サイゴウ・リョウマ)。恋人師が資格になる前に、恋人師に対してのデモ運動を起こしていた人の一人だ。

あの時ニュースで映っていた映像から計算して、今は四十代前半、いわゆるアラフォーなのだが、あの時からかなりハンサムだった。だから今はきっと…。

だからこそ、私は不安だった。

その甘いマスクで恋人師の「汚点」を語られ、「終わってよかった」と思ってしまいそうだった。

そう終わりたくない。