夜叉の恋



神輿はゆらゆらと進み、やがて森の中のある場所でぴたりと止まった。

きょろきょろと辺りを見回す寧々。

目の前には古びた祠。


――知らなかった、こんな所に祠があったなんて。


蔦が這い長らく誰も訪れていなかったことが分かるその祠はあちらこちらが崩れ、中にある地蔵も汚れている。

よく見れば顔の一部も欠けていた。

耳の生えたそれは、きっと狐を模したもの。

昨日の化け狐がこの祠の主なのかは知らないが、きっと長い間放置していた所に村で暴れたから祟りだと思ったのだろう。

寧々は別に神を信じている訳でも信じていない訳でもなく、“そこに在るもの”程度にしか認識はしていないが長老は違う。

というか、きっと人間の大半が長老と同じ考えなのだと思う。

寧々のような人間は少数派だろう。

現に、寧々のような人間ばかりだったら生贄というものは存在しない。

信ずる者も信じない者も総じてそれを受け入れるのもまた、集団で生きる人間だからこそ。

神輿を担いだ男達を先導していた長老は振り返り、徐に寧々を見上げた。


「何か、伝えたいことはあるか」


寧々は小さく微笑み、一言告げた。


「今までお世話になりました」



* * * * *



村人達は立ち去った。

残されたのは神輿とそれに正座をしたまま微動だにしない寧々、そして盃と樒(しきみ)や少しの供え物。

寧々は閉じていた目をゆっくりと開き、目の前の盃に手を伸ばした。

――それは、口周りに毒が塗られた死の盃。

寧々は勿論知っている。

これを飲めば、喉が爛れ手足は痺れ苦しい最期を迎えることも。

逃げることだってできる。

だけどそれをしないのは、きっと寂しいから。

寧々から距離を置き村の仲間だと明言せず、煙たがり暴力だって平気で振るう。

食べ物だってろくに分け与えず話し掛けてもまるで見えていないかのように振る舞い、ひもじくて盗みを働いた時だけ目を吊り上げて地の果てまでも追ってくる。

そんな人達。
そんな故郷。

そして今日、そんな村を救う為に――気休めの為に、寧々は殺される。

何故殺されなくてはいけないのかと、此処に来るまで何度も思った。

何故ひとりぼっちというだけで除け者にされなければならないのかと、独りになってから何度も思った。

だけど、生贄に選ばれた時。

寧々は悲しみの中で、それは本当に小さな小さなものだけれど――喜びを、確かに感じたのだ。

久し振りに名を呼ばれ、存在が認められ。
そして、多少なりとも村の仲間だと思ってくれていたのだと――。

――厄介払いだと、分かっている。

でも、それでも。

このまま厄介者扱いされて死ぬよりも、少しは感謝されて村の仲間として死ねるのなら。


悲しいけれど。
怖いけれど。

きっと、幸せなんだ。


ゆっくりと――寧々は盃を手に取った。