その家は睡蓮の花の咲く池のほとりに建っていた。洋風とも和風ともつかない不思議な平屋建ての家にはこれまた青年とも中年ともいえない人物が独りで暮らしていた。庭いじりをしている風体でもないのに初夏の庭には紫陽花がたわわに咲き、大輪の薔薇がしっとりとした芳香を放っている。
 少し汗ばむ陽気の中を涼しげな面持ちで少年が歩いている。片手には本を数冊持ち、その本は心持ち古びている。
 少年は池の畔に立つとそっと水辺を覗き込む。
 池とは言うものの水はすこぶる澄んでおり、泉といっても差し支えないような気もする。
 岸に近いところには菖蒲が植えられており、梅雨前の日差しを浴びて誇らしげだった。
「薫ぅ」
 母屋の玄関口から少年の名を呼ぶ声がする。
薫ははっと顔を上げると小走りに男の元へと向かった。薫のいた畔から家までかなりの距離がある。池を半周ほどしないと玄関口までたどり着けない。池の端に門がありその向こう岸に屋敷があるような恰好だ。
「先生、今日は本を読まれてないんですね」
 息を弾ませながら男の元に駆け寄る。 
 男は白の長着に藍染の武道袴という非日常的ないでたちである。少年がいたって普通に接している様子を見ると男の恰好は普段着のようだ。
「今日はね、お客が来そうな気がしてね。待ってるんだ」
「僕ですか?」
「薫は客じゃないだろう?」
男の軽口には慣れているのか、薫は気にも留めない。
「何ですか、ソレ」
「これか?」
右手にさげていたそれは球体に綺麗に飾られた花々だった。
「コレは薬玉さ」
「くすだま? あのお祝い事でパカッと割るやつですか?」
「まぁ、似たようなもんだ」
 男は屋敷の裏手に向かって歩き出す。薫も後に続いてついていった。
 屋敷の裏には東屋があり、その東屋には薔薇が這うように絡まっている。庭は丁寧に手入れがされており、山百合の橙色が眩しい。「僕いつも不思議に思うんですけど、誰が庭の手入れをしてるんですか?」
「薫はこの家で私以外の者を見たことがあるかい?」
「いいえ」
「じゃあ、そういうことだ」
「答えになってません」
「だいたい・・・」
東屋の椅子に腰掛けながら男はからかうように、
「庭の手入れに気付くような少年は薫くらいしかいないさ」
などと少年をからかう。