秒速1センチ

──そしてその当たり前の掛け声の返答には時間が掛かった、数秒では済まない、数十秒の沈黙の後に静かでまるで虫のような小さい声で

「来たから、出て」

そこで通話は途切れる。なんて馬鹿馬鹿しい時間だったんだろう。声の主は私の後輩に当たる人間になる。名前は飯田地小春(イイダチコハル)くん。彼を一言で言うなれば語彙力皆無であろう。なにを言っても何をしてもなんの反応を示さない、興味がないのか、それともコミュニティ能力が本当に無いのか、上司の命令で嫌々とは言え、もう三ヶ月も出社と帰社を共にしている。

免許が無い私に取って、車で迎えに来て頂けるのは本当に有難い、けれど彼は忠実で、以前、小春くんの朝の電話を取らなかった事があった。そうすると小春くんは家の前で私が起きるのを忠実に待っているのである。私としてはなんとも心苦しい事だろう。その事件以来、必ず彼の電話は取るようにしているのである。