「いいですね。ハルさんの生の声を学生たちが聞いたら、彼らももっと身近に感じるかもしれない。
どうですか、出張講義、お願いできませんか」
「いやいや、遠慮しとく。人前でしゃべるのは得意じゃない、新年の会長挨拶だけで十分。それも引退したいくらいだから」
「残念です、学生にも貴重な経験になると思ったんだけどな。もし、その気になったらお願いします。
じゃぁ、話を聞かせてください。早速本題ですが、夜這いの話を聞いたのはどなたからですか?」
「亡くなった伯父さんから聞いた。伯父が青年の頃は、まだ夜這いの習慣が残っていて、青年会の奴らはそこで大人のイロハを教え込まれたそうだ」
「大人のイロハってのは、あれかい、筆おろ……」
ハルさんが最後の一文字を言いかけて止めたのは、茶菓を運んできた愛華さんの咳払いに気がついたミヤさんに、腕をつつかれたためだ。
「シッ、ヨネさん、声がでかい。筆おろしなんて、大きな声で言うもんじゃない。
愛ちゃんの足音、聞こえなかったのかい」
「しょーがねーだろう、聞こえないんだからさ」
「ヨネさんの補聴器、替えた方がいいんじゃないか? 聞こえないと困るだろう」
「別に困っちゃいない」
注意しているミヤさんも相当に声が大きく、五十歩百歩の掛け合いだ。
テーブルに茶菓を並べながら、愛華さんが言葉をはさんだ。
「ここではそう言うお話もかまいませんけど、息子がもうすぐ帰ってくるので、そのときは、すみませんが」
「龍太、今日は早いじゃないか」
「テスト前で部活が休みなんですよ」
家族が出入りする玄関前アプローチを直しているので、今日だけは店の入り口から帰宅しますのでと、丁寧な説明があった。
「そうだな、龍太にはまだ早いか」
離婚して、愛華さんが子どもの親権を持っていることは聞いていた。
小学生くらいだろうと思っていたが、部活というと中学生だったのか、愛華さんは結婚が早かったんだな。
熱々のほうじ茶を飲みながら 「学校が近くていいですね」 と声をかけると怪訝そうな顔をされた。
この地域の中学校はすぐそこだ、徒歩10分もかからないはずなのに……
疑問はすぐにとけた。
「ただいま」 と、店の入り口から入ってきたのは、隣りの市にある県立高校の制服を着た男子生徒だった。
店内の客に 「こんにちは」 と挨拶をしたが、恥ずかしそうにそそくさと奥へ行った。
「高校生ですか。大きなお子さんがいるんですね」
「いいえ、いまのは弟です」
「弟さん?」
「ウチは兄弟の年が離れているんです。みなさんに驚かれるんですけど」
愛華さんと恋雪さんは8歳違いで、恋雪さんと弟君は12歳違いだそうだ。
20歳違いの弟は親子に見える、間違われることもあるんだろうと思っていると、また 「ただいま」 と低い声が聞こえた。
「こんにちは」
「えっ、弟さん、双子だったの?」
さっきとおんなじ顔に挨拶されて、思わずそう口にしたのだが……
「こっちが息子です。二人とも高校1年生」
どうも、とニキビ面が挨拶して、彼もまたそそくさと奥へ行った。
「あはは、翔太と龍太、似てるだろう? 従兄弟は似るからね、タケちゃんもやっぱり間違えたか」
「ヨネさん、従兄弟じゃなくて、叔父と甥です」
「おっ、そうだった、そうだった」
ヨネさんに笑われたが、あれだけ似ていれば誰だって間違えるだろう。
そして、俺はここでは 「タケちゃん」 と呼ばれている。
親しみを込めて呼んでもらえるのは嬉しいが、「ちゃん」 はどうかと、ご隠居さんたちに言ったのだが、聞こえないふりをされた。
彼らの耳は、実に勝手なものだ。



