「彼はご飯と味噌汁とふりかけがあれば、それでいいって人だったの。
パンの時はコーヒーだけにしてくれって」
「恋ちゃんは、どんなご飯を用意したの?」
「ハムエッグとサラダと、果物も出したけど、食べてもらえなくて。
デザートとか、朝から食べられないだろうって言われて。
だから、朝を軽くして夕飯にいろいろ作ったら、それも不満みたいで」
「不満? なにが?」
「大皿一品でいい、ちまちま皿があると、どれがメインだかわからないだろうって。
ウチの母がそうだから、つい、作りすぎちゃうんです。
ウチは昔からお客さんが多くて、いつも誰かが遊びに来て、賑やかにご飯を食べてたから」
「『麻生漆器店』 もそうだね。いつも人がいる」
「母も祖母ももてなし上手で、いっぱい並ぶのが普通だと思ってたけど、そうじゃない人もいるんだとわかりました。
でも……彼の言うこともわかるけど、そんなにいらないと言われたら、親とか育った家を否定されたみたいで、悲しかったなぁ」
恋ちゃんと彼は、意見を譲りあったり、すり合わせることができなかったから別れへと進んだ。
「俺は、皿がいっぱい並んだら嬉しいけどな。毎日通ってもいいと思うよ」
なんて贅沢な男だ、俺なら喜んで食べるのに。
その思いが 「毎日通ってもいい」 という言葉になっただけで他意はない。
相手を認めようとしない、受け入れようとしない、それがどんなに相手を傷つける行為であるか、俺も身を持って知った。
彼が恋ちゃんへ言った言葉の数々を聞きながら、胸の古傷が疼いた。
「いいですよ。食べに来てください。私も食べてもらえるの嬉しいから」
「えっ、冗談だって。ごめん、本気にしたよね。ははっ、豪華な食事につられて、つい」
「本気にしていいですよ」
本気と聞こえてドキッとした。
動揺を隠しきれず、はさんだ漬物をぽろっと落とした。
「こうしませんか。食費を一部負担してもらうの。
私は作る人、西垣さんは食べる人、どうかな」
「いや、それって、すごくうれしいけど……なんか図々しい気が」
「そうですか? 私、まかないのおばさんのつもりですけど」
「おばさんはないでしょう。けど、いいの? 本気にするよ?
俺、ここに毎朝通ってくるよ」
「どうぞ。西垣さん、ウチの前を通って行くじゃないですか。寄って食べてって」
「うわぁ、それいいね。じゃぁ、そうさせてもらおうかな」
朝から手料理とは、なんて贅沢なんだ。
明日からいいですよと言われ、そうすることに決めた。
食事代は……1ヶ月で一万円くらいだろうか。
「先払いしとく。とりあえず一万円でどうかな、足りなかったら言って」
「そんなにいりません。多すぎます」
「これでも少ないくらいだよ。毎朝モーニングセットを食べたら、もっとかかるでしょう」
期待してるからね、と言い添えて福沢諭吉を一枚渡した。
朝食の相談がまとまり、食後のお茶を飲む頃、リビングでふたりが起きる気配がした。
律儀にノックがあり、それから戸が開いた。
「おはようございます」
「おはようございます。また厄介になっちゃって。毎度毎度お世話になります」
林店長が申し訳なさそうに頭を下げ、林さんもそれに続く。
「すぐ準備しますね」
「あっ、私、手伝います」
井上さんが手早くテーブルの上を片付けはじめた。
店長は洗面所へ行ったようだ。
目が覚めたふたりには、親密な様子は微塵も見られない。
俺も気づかぬふりでいよう。
二人掛けのダイニングテーブルを彼らに明け渡し、俺は猫たちを連れてリビングに移った。



