”世界の半分は、
ちゃんと秘密の空に繋がっているから、
だから、安心して・・・
たとえそれが夜の真っ黒な空でも・・・”


バシッ!

と弾ける様な大きな音で顔を上げると、頬杖をついたマナトの呆れた顔が僕を覗き込んでいた。

驚いた拍子に椅子から転げ落ちそうになる僕を見て、思わずふき出している。

僕が不機嫌な顔のまま、悪態をつくと、マナトは片眉を吊り上げ、ワザと大きくため息を漏らしていた。

「夢か・・・?」

まだ寝ぼけた顔のまま、僕が不機嫌に答えると、マナトは、根拠のない自信たっぷりに「夢だ。」とキッパリ答えた。

相変わらずいい加減な奴だ・・・と思いながら、僕はまだハッキリしない頭のまま、ぐるりと辺りを見回した。

いつもと変わらない大学の教室で、まだらになった生徒たちは、いつもの仲良しグループに分かれ、口々に話し合っている。

昨日のTV番組の話や、合コンの感想を述べるのに忙しそうだ、女の子同士のグループはもっぱら彼氏の話で盛り上がっている。

教室でボール代わりに丸めた丈夫な紙を使ってキャッチボールを始めるバカな男子生徒たちも、いつもの見慣れた風景の一つだった。

奴らが3階の教室の窓から1階の校庭にいるお仲間とキャッチボールを始める前に、僕はさっさと口を開くことにした。

さもなくば教授が入って来てまたいつもの説教に巻き込まれることは間違いないし、その時には決まって最後にこの教室を追い払われることになる。

まったく休憩時間ぐらい大人しくしていてほしいもんだ!

「そう言えばお前、さっき女の子と話してた?」

根拠のないイライラを抑えるような僕の問いに、マナトは思い当たる節はなさそうに、少し間をあけて「いや」と答えた。

女の子の不思議な声を聞いた気がしたが・・・どうやら夢だった様だ。

そんな僕にマナトは一瞬マユをひそめたが、ま、いいか、と僕から教室へと目を写した。

「そういや昨日は・・・どもな。」

僕が昨日の葬儀のお礼を告げると、彼は「水くせぇ!」と僕の首に腕を回し、いつもの照れ隠しを始める。

実は昨日、葬儀に出席してくれたのはこの大学でマナト一人だった。

雨の中、傘もささずに「大丈夫か?」と慌てた様子で見にやってきてくれたのだ。

ちょうど葬儀が終わりかけていた頃。

あの時たまたまケータイでマナトが連絡をよこしてこなければ、余計な心配を掛けずに済んだのだろうが・・・

マナトの歪んだネクタイや、乱れた喪服を思い出して、僕が思わず苦笑すると、マナトは小さく鼻を鳴らした。

「寂しい貴方の愛の鳥、この愛鳥(マナト)様がかわいい女の子紹介してやるから~もう泣くなよぉ!」

「泣いてないし、別にいいから、紹介してくんなくても。」

僕が大きく腕を振り払うと、マナトはヘイヘイと両手を上に上げた。

「んで、どうするよ?」

「どうするって・・・何が?」

ソワソワした様子のマナトを横目に、僕は机に頬杖をついたまま憮然と答えると、マナトは落胆したようにポカンと口を開けた。

「何がって・・・メシだよ!昼メシ!俺たち大学生にとって昼メシ程大事な授業があってたまるかっ!」

大げさなマナトに、今度は僕が眉をひそめた。

「その大事な授業の前に、まずはスペイン語の講義を済ませるんだな」

冷ややかに答える僕を、マナトは笑いたいのか、怒りたいのか、決めかねた顔を向けている。

「何言ってんの?お前。終わったんですけど、スパニッシュ。君が激しくヨダレこいて寝てる間に」

そう言うとマナトは教室の時計を指差した。

「やべぇ・・・」

僕は思わず頭を抱え込んだままうめいたが、覗き込むマナトの顔はなぜかとても嬉しそうだ。

「だ~か~ら~起してやったじゃん?」

「講義終わった後にだけどな・・・」

こちらに飛んできた硬い紙の塊を、憎しみを込めて力いっぱい投げ返しながら、僕はブツリと答えると、そんな僕を見ていた数人の女子グループがクスクスと笑っていた。

「代返もしてやったんだぞ?」

そう言いながらマナトはご機嫌な様子で女の子たちに手を振っている。

「隣にいるのに起こせよ、お前はっ・・・」

僕は急に恥ずかしくなって語尾を弱めた。

「俺たちには日本語があればいいのだぁ~!」

マナトはそう言うとだらりと机につっぷした。

「・・・変わった言い訳だな・・・で、他に言うことは?」

マナトは腕の間に顔をうずめたまま、チラリと顔を上げると、満面の笑みを浮かべている。

「お誕生日おめれとぉ」

そう言って再び腕に顔をうずめた。

「変わったイヤミだな・・・」

覚えてたんだ・・・

僕はむくれた顔のまま横目でマナトを睨み返すと、マナトはまだニヤついたままチラリとこちらを見た。

「いい女の夢はな、現実で見ろ!っての」

まるでこれ以上ないという名言を吐くように、わざと言葉を切って強調すると、急にマナトが僕に覆いかぶさってきた。

僕は慌てて身構えたが遅かった、ガッチリとマナトに押さえ込まれてしまった。

「よぉ~く聞きたまえ、この愛の鳥、マナト様が貴方の心の寂しさを・・・」

「・・・癒してくんなくて結構!」

やっとの思いで再び腕を振りほどくと、僕は丁重に語尾を引き受けた。

「どーせやらし~ぃ夢でも見てたくせに・・・」

こんな感じのやり取りが、僕たちの日常だ。

昨日は落ち込むことや悲しいことがあっても、今日にはまたいつもの日常が戻ってくる。

これがいいことなのか、悪いことなのかはわからないが、マナトが今日も普段どおりに笑ってくれているのはありがたかった。

いつも調子のいい奴だが、これは奴の才能でもあった。

僕がおもむろに立ち上がると、マナトは脇に置いてあった参考書を慌ててひっつかみ、あわてて僕の後を追った。

「ソラちゃ~ん、怒った?」

「呆れた。」

「まぁ!私から逃げる気ねっ!」

その言葉にワザとショックをうけたような仕草を見せたが、僕はそれが昨日の人気TVドラマのワンシーンの再現だと気付くと、マナトから見えない角度でしっかり笑った。

「メシだよ、昼飯!大事な授業の一つなんだろ!?」

「・・・お前さぁ~友達の俺が言うのもなんだが・・・真面目に生きすぎてる!しんどくなんない?」

「うぜぇ・・・」

「そ~っすか、はいはい。」

納得いかないカラ返事にマナトはつまらなさそうに目をぐるりとまわし、食堂までのしばしの道のりを歩きだした。

「ソラってさ・・・女嫌いなわけ?長い付き合いでもないが、短い付き合いでもない、他の誰でもないこの俺様が不思議に思うって・・・どうよ?」

マナトは目を小さくギラつかせながら、自分の拳を僕に近づけたので、僕はマナトの腕をグイっと引っぱって、エルビス・プレスリーの様に唸ってやった。

「女は面倒くせぇ。」

したり顔の僕にマナトはあからさまに嫌な顔を向けている。

「僕かぁ~てっきり心配したよ、お前はもしかすると・・・」

「○*×△*!!」

言うまでもない、言葉にもならない僕の怒りがマナトの頭に炸裂した。

「野郎のケツに興味なんかねぇ!!」

「そこは知ってるんだ・・・ソラのくせに。」

「ジャイアンか、テメーは・・・」

「ソラはどっちかっていうとスネ夫だよね。」

「・・・頭が痛ぇ・・・」

「じゃ、どうして?」

「誰かさんと違ってまともなだけだ。」

「・・・聞こえたぞ」

すっかり上気した僕の顔は見事に首まで真っ赤だったに違いない。

横目で睨むマナトの視線をあっさりかわし、背中を向けたまま僕はマナトの一歩前に出た。

「うるさいのが苦手なだけだ。すぐ泣いたりされるのが面倒臭い」

ポツリと早口で答える僕に、マナトが今どんな顔をしているのか・・・大体見当はつくけど・・・気にも留めない様子を振舞った。
ただ、動揺している姿だけは悟られたくない。

「まぁ・・・」

と肩に手の感触を感じ立ち止まると、マナトがさらに僕の前を出た。

「真面目なのはいいこった」

いつにもまして理解してくれているように聞こえるのは空耳か?

「お前の場合はあれだ、頭に“バカ”がつくけどなっ」

そういうとマナトは残り少ない食堂までの道を逃げるように走り去った。

「聞こえたぞ!」

空耳というより思い違いだったようだ。
くそ。

やっと追いついて食堂までやってきた僕に、マナトはゲンナリ顔で食堂の入り口扉の丸窓を顎でしゃくった。

真っ昼間のカフェ内はどこも人で埋め尽くされ、食券販売機の前は長蛇の列ができていた。厨房内では給仕のおばさんたちが慌ただしく走り回っている。

僕はげんなり顔を向け、2人同時に肩を落とした。

「どうする?」

雑然とする食堂に親指を向けながら、力の抜けたような声を出したのはマナトだ。

僕は望みをたくして丸窓からもう一度中を覗き込んでみた。

先に確保しておきたい席の余裕さえない状態は何度見ても変わらない。

入口で突っ立ってるしかできないならと、しぶしぶマナトに向きを変えた。

「外食だな」

僕の一言に、マナトは舌打ちしながら「今月ピンチなのにぃ~」と財布に向かって悪態をつきだす。

その時だった。

ちらりと映った風景に、僕は目を疑った。丸窓がまるで違う世界を映す鏡のように、ある一人の人物だけをくっきり浮かび上がらせていたのだ。

「あの子・・・」

周りのことなどすっかり忘れ、鼻がくっつくほど窓に近づいたまま僕は呟いていた。

「かずの子?」

よっぽどお腹が空いていたのか、マナトの頭の中は昼食のことで忙しいようだが、すぐに僕に気付いて後ろからその視線の先を必死に辿っていた。

よく見ようと背伸びまでしている。

一瞬周りの雑音が途切れる。

マナトはようやく僕の視線の先にあるものを見つけたようで、僕と視線の先を忙しなく交互に見つめていた。

「この大学にあんなかわいい子いたっけ・・・?」

僕から再び彼女に目を移すと、からかい混じりに、マナトがポツリと呟く。

「一目惚れでもしたか?」

そんな質問も、僕の耳には届かない。

そんな僕を不思議そうに「大丈夫か?」と眉をひそめたまま覗きこんだマナトは、僕の顔の前でヒラヒラと手を振った。

「もしもし~亀よ~ソラさんよ~」

僕は無言のまま手を挙げ、マナトを遮った。さすがに怪訝な顔を浮かべている。

僕はいったいどうしたのだろう?

ドアを押し開ける手は本物か?

足も独りでに動いているようだ。

でも目的の場所は知っている。

ほら・・・