Summer 7th Heaven

やっと図書館が見える位置までやって来ると、僕は足をゆるめ、呼吸を整える。

マナトは僕の隣まで来ると、ヒザに両手をついたまま前かがみに喘ぎ、息を整えていた。

何度こうして見上げただろう?この図書館はこうする度に、いつも全く違って見える。

おばけ屋敷。

他にはどんな秘密を眠らせているのか?

「いったい、何だって、んだよ、この、図書館は・・・」

息を切らせながらも、マナトは困惑しきった面持ちだ。

全くその通りだ。

暗闇に目が慣れていたせいか、図書館の出入口から漏れるホールの明りが、今までにも増して眩しい・・・まるで宇宙船の入り口を思わせる様だった。

有名なあの映画、スピルバーグの “未知との遭遇 ”のあの場面に直面しているようだった。

もしかすると、この図書館自体がUFOなのかもしれないな、そう思いながら、次に足を踏み入れると二度と出ることが出来ない恐怖を感じる。

だけど今はそんな事に尻込みしている場合じゃない。

僕はゆっくりと足を運んだ。

今まで感じたことがないほど不思議な感覚に包まれながら。

ホールの中央にやって来ると、やっと息が整った。疲れ切った顔のマナトがフト僕を見つめている。

まだ入り口付近だ。

真っすぐに僕を指差していた・・・

「何だよ・・・」

次の瞬間、何かが爆発すように、マナトの笑い声が一気にホールに響き渡った。

さっきまでの緊張が瞬く間に消え去って行く。

慌てた僕は、何事かとすぐさまホールの壁に備え付けられた全身鏡まで駆け寄った。

映し出された姿を見た自分が、鏡の向こうで驚いた表情を浮かべ、立ちつくしている。

雨に打たれた姿は全身ビショ濡れで、泥にまみれたTシャツは体に張り付き、ジーンズは茶色に変色していた。

顔も腕も泥だらけ、長靴は・・・まるでその形をかたどった泥を履いている様だ・・・

脇目も振らずに草をかき分け走ったせいか、半袖から覗いた腕には無数の小さな擦り傷ができている。

なるほど、この屋敷に出入りするには、もっともな人物になれた様だ・・・幽霊や宇宙人というより・・・

モンスターに近い。

あまりの大冒険に、自分の身なりなど気にも留めていなかった。

その背後からすり寄るようにやってきたマナトは、未だに笑いを堪え切れていない。

僕はそんなマナトを鏡越しに思い切り睨みつけた。

「お前だって同じようなもんだろ・・・」

「俺はあれだ、泥も滴るいい男!」

何がそんなに可笑しいのか、自分の言ったことにも大笑いして、何やらポーズの様なものを鏡の前で披露している。

呆れた僕が去ろうとすると、再び無理やり腕を首に回し、2人がよく見える位置にまでワザワザ僕を誘導し直した。

「デジカメ、持ってくればよかったな!」

そう言ってまたニヤリと笑う。何て姿だ・・・

「やっと旅人らしくなったってもんだ!な!」

「・・・ゾンビにでもなった気分だよ、俺は・・・」

もし、洞窟で滑って出来た尻の蒙古半の様なアザが、この有様に追加されている様なことになっているなら、もうこいつとの裸の付き合いはないなと思いながら、出来るだけ館内を汚さないよう忍び足でホールを通り抜けた。

まさかこんな所で上半身ハダカにトランクス姿で忍び足を決めることになるとは・・・

さっきの緊張感を思うとやり切れないものがある・・・

こうなれば、マナトのバカ笑いを止めることも出来なかった。

とりあえず、汚れた服や靴はアリスの庭に置いておくことに決め、風呂に入って、サッパリとした気持ちでコモンルームにやってきた。

やはり始めに身支度を終えてここにやって来たのは僕だった。

洗いざらいの髪をワサワサと無造作にタオルで拭き取りながら、僕は2枚に重ねたままの地図の前までやって来た。

確信は十分にあった。これでほとんどの謎が明らかになる。

後一日。

この旅もいよいよ大詰めへと向かっている。
僕たちの説いた謎が正解であるよう願いたい。

もしそうなら、ミューはきっと満月の夜までは無事なはずだ。

バルコニーの外へ目をやった。
言い知れない不安は未だに拭いきれない。

だけど、言葉にできない重圧にじっと耐えている様な息苦しい思いはもうない。

そうこうしている間に、マナトが部屋に現れた。

今度は両手に、グラスに氷が入った南国風のアイスティーを持っている。

その上部には、小さな日本傘の飾りが施されていた。

片方を大理石のテーブルに置き、僕に差し出すと、もう片方をストローですすっては、ハーッ!と至高の息を漏らし、近くのイスに腰掛けた。

僕がすぐさま地図の上で、軽くトントンと指で示すと、マナトは怪訝な顔で僕を見つめてから、もう一度アイスティーをすすり、地図を覗き込んだ。

その次の瞬間、口に含んだままのアイスティーが噴き出しそうになるのを、マナトは寸での所で慌てて堪えていた。

今や鼻がくっつくほど地図に顔を押し付けている。

「 “Lecho marino ”・・・」

最近のスパニッシュの授業を寝てばかりでやりす過ごした僕の、あまりの反応の鈍さに、マナトはもどかしい様子で頭を掻きむしり、こちらを見つめている。

「お前覚えてねーの?!」

僕が目を泳がせている間、マナトは耐えかねた様に叫んだ。

そうだ、“Lecho marino ”・・・この意味は・・・


「 “海底 ”・・・」


マナトはスッキリした顔で僕に勢いよく指を指した。

「Si(シ)!!」

と思わず叫んでいる。ちなみに “Si ”とは、スペイン語で “イエス ”という意味だ。

スペイン版のミノさんか、お前は・・・

「スペイン語とっててよかったーーー!」

歓喜するマナトを 尻目に、僕は呟いた。

「これで役者はほぼ出そろったが・・・」

何か上手く行き過ぎていて、どうにも腑に落ちない。

あの手紙は結局彼女が居る場所を指し示すものではなかったのか?

彼女はどこにいるんだ・・・

むしろ、新たな謎が増えた様にも感じるのは、僕だけじゃなかった様だった。
「後は人魚だけだな・・・」

その様子を察してか、無理やり奮起を起こさせる様に、マナトの態度も妙にワザとらしく振舞っている様にも感じる。タイムリミットはついに明日へと迫っている。

マナトには珍しい内心の焦りが、どうか裏目に出ない様に、そこは僕がサポートしなければいけない所だった。胃の奥が再び落ち込む様な緊張感が僕たちを包む。

無言の圧力が重いベールのように覆いかぶさる・・・

これ程までに厳重に隠されたモノが何なのか・・・いや、あの手紙を書いた主は誰なんだ?隠さなければいけない理由は何なんだ?

マナトは事の大きさが少々手に余るのではないか?といった風だった。

難しい顔を浮かべては、今までの謎解きが本当に正しかったのかを自問している様にも伺える。

散乱したテーブルの上から手紙を拾い上げ、睨めっこを始めるその姿は、この旅で始めに見せたマナトの姿そのものだった。

今更振り出しに戻らなければいけないのか?
何か見落としている事はないか?
もう少し慎重に考えなければいけない事があったのではないか?

シーンと静まり返った部屋には、何度も自問する互いの声が宙を舞っていた。

「えらく勉強熱心じゃのぉ~」

その時、入口付近で穏やかな声が僕たちを現実に引き戻した。

この騒動に眠れなくなってしまったのか、おじいさんが、奇妙で派手な柄の寝巻姿のまま、シルバーの盆を彩るお茶請けを乗せてやって来た。

もうすでにヘトヘトで、マナトはおじいさんの顔を見るなり、お腹の虫が鳴りやまなくなってしまっている様だった。一気に緊張が解けたといったところだ。

「待ってましたー!」

マナトにとっては最高の差し入れだったが、僕はおじいさんの寝巻が気になって仕方がない。彼は盆をソファーの前のテーブルに運ぶと、そのまま腰を下ろした。

「それで、洞窟探検はどうじゃった?」

嬉しそうな彼の表情を見ると、本当の目的はこれだったのかと気が付いた。

眠れなかったわけではなく、早く僕たちから感想を聞き出したかったのだ。

おじいさんが期待を込めて僕に向き直る。

色んな事が起こりすぎたせいで、あの洞窟の冒険が遠い昔の様な気分になっていた・・・

マナトは、意表を突かれた様な顔を浮かべている。

大理石のテーブルから移動した僕は、ソファーの背もたれに軽く腰掛けて、改めておじいさんに向き直った。

それにしても、その寝巻はどこで手に入れてくるのだろう・・・サンタクロースを思わせる、この屋敷の色とピッタリ同じ色の深紅はともかくとして、どうしてその柄を選んだのだろうか?

寝間着の中でたくさんの小人が踊っていた。

マナトはマナトで、お茶請けをしっかり両手から離さないまま、おじいさんの正面のソファーに腰掛ける。

「いやー参った!降参!」

口に含んだままのマドレーヌをそこら辺に巻き散らかして、マナトは熱く語った。

あの岩そっくりな布の絵の事、誰の作品なのだとかで、おじいさんを大いに喜ばせる。

熱の入ったマナトの冒険談を、今までにないほど楽しんでいる様子で、2人揃って尻もちをついたシーンを、彼はのけ反って大笑いしていた。

だけど一番気になる所は・・・あの洞窟が “秘密の楽園 ”に繋がっていたという所だ。

例え、おじいさんのサンタの様な寝巻の懐からハトが出せても、人魚の事についてまで出させる勇気もない。

いや、これはあくまで僕たちの課題であって、それ以外の人に何かを求め過ぎるのも間違っているのではないか?そんな気もしたからだ。

僕はあえてそれ以上口にしなかった。

それはマナトも同じだったはずだ、言い淀んだ瞬間が、何度も会話の中に含まれていた。

「それで、君たちの泥だらけの服が庭に飾ってあったんじゃな?」

マナトはまた思い出し笑いをして、僕の方に目をやった。

「じっちゃんにも見せたかった!」

その言葉に、おじいさんはフォッフォッ!と笑う。

僕は・・・言うまでもない。

「それで、君たちの大冒険、結局どうなってしまうのじゃ?」

おじいさんは僕たち交互に目をやった。

マナトの瞳が僕をとらえるので、2人の視線が同時に僕に注がれる。

だけど結局何も言えなかった。頷く事も、首を横に振ることも出来ないまま・・・

「なるほど・・・それが君の答えかね?」

その言葉に、堪らなくなったのだろう、マナトが口を開いた。

「ほとんどの謎は解けたんだ、本当は・・・」

そんなため息交じりの言葉に、おじいさんは「ほぉー」っと声を出し、フォッフォッとまた、小さく笑った。

それは彼にしか分からない様な納得のようにも思えた。

なんせこの宇宙船のオーナーだからな・・・

「ただ・・・」

マナトは目を細めたままそんなおじいさんを見つめている。

その後に続く言葉を待つ様に、おじいさんもまた、マナトを見つめ返す。

真っ直ぐな瞳だった。

意を決した様に、最初に口を開いたのはマナトだった。

「じっちゃん、これが最後の質問ね」