Summer 7th Heaven

舞広がる埃にむせ返る。

「確かに、随分使ってなさそうだな・・・」

僕の言葉に、マナトは腕で顔を覆いながらモゴモゴ悪態をついた。

「ここにも注意書きしといて欲しかった・・・」

ここでやっと、高いだけの背が役に立ったが、それでも台の上で2人して背伸びしてやっと開けられる高さだった。

とりあえず、今までの経験を生かして、勢いよく垂れさがって来た短い梯子を一歩ずつ慎重に登る。

マナトは恐る恐る、その先に顔を覗かせた。

下から見ると、その先は真っ暗で何も見えない。

空にポッカリ開いた落とし穴のようだった。

僕はランタンを手渡すと、マナトは外の状況を確認すべく、辺りを注意深く照らしながらゆっくり見渡した。

降りなければいけない足元を集中してここもまた念入りに調べる。

「大丈夫だ、出るぞ!」

僕を振り返ると、そのGOサインに軽く頷き、僕も後に続いた。

思ったより梯子がきしむ音が激しくて、途中で切れてしまわないかと心配したが、何とか登りきることに成功した。

外に出ると、僕たちは小さな山小屋の中に立っていた。

今は使われていない、地下室にしまわれたような道具やらで一杯で、どこもかしこもクモの巣だらけ、かつてはその柔らかさを誇っていたソファーや、温かく人を照らしてくれていた暖炉も今は冷たく静かに、埃とクモの巣窟と化している。この小屋自体が、今は廃墟と化している様だった。

歩くたびに床がきしみ、小さく埃を上げる。

随分古い建物なのも窺える。ふと近くのテーブルを見てみると、人形の頭だけがもぎ取られて置かれてあった。

「きみわりぃ~ぜ・・・」

マナトはそれを見つけて、身震いをしている。

もしこれもおじいさんの仕組んだものだとすると、中々効果的な演出だ。

僕ですらそこだけ明かりに照らされると、思わず震え上がる。

その時だった、明らかに僕たちの足音とは違うカタンという音が、白い大きな布で覆われた物体の近くから聞こえてくる・・・僕たちは思わず息を飲んで足をとめた。

「なんだ・・・?あれ・・・」

その物体の、少し手前、部屋の隅の方でユラユラ揺れる小さな影が目に入る。
マナトは固まったまま動かない。

いや、動けない。

その手に持った唯一のランタンをはぎ取って、音のした方を照らしてみるが、光はそこまで届かなかった。

と、その時!

小さな影が、僕めがけて覆いかぶさって来た。

「うわっ!っ」と僕が思わず身構えると・・・その影は僕のすぐ脇を通り過ぎ、出口の前でゆっく振り返って僕たちを凝視した。

「ミャー・・・」

僕は一気に肩の力を抜いた。

「なんだ・・・黒猫か・・・」

そう呟いて、マナトの方を振り返る。

「おい、大丈夫か?」

どうやらかなり効いたらしい。

まだ棒立ちのまま顔を強張らせて、まるで木で出来た人形のように僕を見つめ返していた。

今度は猟奇殺人鬼がこの山小屋で飼っている猫などと言い出さないうちに、使い物にならなくなったマナトの身体を後ろから押し出すのに苦労して、やっと小屋の出入り口までやってきた。

黒猫は、ヒョウヒョウとした態度で、僕たちを怖がる態度を全く見せない。
僕はここでハッとした。

あの手紙・・・偶然なんだろうが・・・

マナトの顔からも一瞬恐怖の色が消え、訝しんだ表情を浮かべている。

まるで外に出ることを促す様に、黒猫はもう一度小さく「ミャー」と泣くと、ドアの隙間からするりと居なくなった。

その瞬間、小屋の外でけたたましい怒号が鳴り響いく。

同時に、ザーっという激しい音が徐々に大きくなってゆく。

「マジかよ・・・」

マナトは意気消沈した声を上げ、埃や汚れで曇った窓ガラス越しに外を覗いた。

その瞬間また、空がピカッと光り、怒号が鳴り響く。

一瞬照らし出された外の風景は、木や草が生い茂っていて、全く場所がつかめない。

風が激しく吹き、隙間の開いた出入り口の扉が勢いよくバーン!と開いた。
そこから見える景色に、僕は目を見開いた。

庭の様な短い小道の先に、一瞬の雷光に見えたものは・・・草のカーテンのようだ。

まさか・・・

僕はおもむろに、腰に巻いていた薄手のジャケットを頭からかぶり、外に飛び出していた。

マナトは汚れた窓を拭いた袖を見て、鼻にシワを寄せていたが、僕に気が付いてすぐさま後を追ってきた。

「ソラ!雨はいいがカミナリ・・・」

マナトの言葉は、またしても激しい雷の音にかき消された。

僕は雨に打たれながら、草のカーテンをかき分け、首を突き出して左右を確認してみる。

「ソラ、今日はだめだ!出直そう!」

雷と雨の音に負けない様に、マナトが小屋の出入口から大声で訴えている。

草のカーテンから出した顔に、激しく雨が打ちつけるが、僕はそんなこと気にもならなかった。

なぜなら・・・


「マナト!ここ、秘密の楽園の真下だ!!」


僕のそんな叫びに、マナトの驚きと空の怒号はほぼ同時だった。

ポカンと口を開けたままの姿が、稲光で照らされて、僕を見つめ続けている。

雨脚は徐々に小さくなっていく・・・マナトは空に目を移した。

「スコールだ・・・」

僕はすかさず遠くの空を見つめ、目を細めた。そこには星空が輝いて見えていた。

マナトは小さく頷いて僕に合図を送ると、草のカーテンをくぐって、秘密の楽園の最後の坂の下まで一気に走った。

雷光はまだ空にくすぶっていたが、もうこれ以上心配はなさそうだと確認すると、、頭にかぶったジャケットを取り払った。

雨はまだ少し降っているが、さっきの雨を思うとちっとも気にならない程にまで治まっていた。少なくとも洞窟探検の嫌な汗はとれた様だ。

「こんな近道があったんだ・・・」

思わず声にしたのはマナトだった。

とりあえず、雷には十分注意を払って、2人で楽園までの坂を上った。

その頃には頭上に嘘の様にすっかり星が出ていて、僕たちは言葉を失くすほどの美しい夜空を仰いでいた。

暫くぶりの外の空気を肺いっぱいに吸い込むと、気分がより一層晴れた気になり、気持も少し落ち着く様だった。

夜の楽園に来るのはこれが初めてだった。

音もなく静かに照らし出す灯台の光は、一瞬遠くの船の無事を祈るように真っすぐ伸びてから、すぐに僕たちのいる秘密の楽園にも届く。

マナトのマヌケな横顔を通り過ぎて行った時には、しっかり他に光が照らす小高い楽園はないかと素早く目で追う。

あらぬ方向を向いているマナトを思うと、同じことを考えていたことに少し笑みを浮かべ、僕は再び夜空を仰いだ。

手が届きそうな・・・とは、この事だろう。

マナトはその圧巻の空に向かってワッと声を上げた。

まるで星が大群で迫って来るかの様だ。

ここで僕が静かに、深く息を吸い込み、目を閉じる。

マナトも深く夜の心地いい空気を肺いっぱいい吸い込んでいた。

目を丸くしながら、マナトは星空をしばらく黙ったまま見つめ、呟く。

「星空って本来こうあるべきなんだよな・・・」

宙を見つめ、ポカンと口を開けたまま、沸々と湧きおこる感動に押されながら、いつものニヤリ顔を僕に向ける。

人間が汚してしまった空を思うと、その浅はかさかが増して浮き彫りになる様だった。

そう言えば、“死ぬと人は星になる ”と言った人が居たな・・・

誰だっけ?

心の奥の方で、空を見上げたままの小さな少女が僕に答えをくれる。

『キロケだよ!』

そうだった、そう信じたローマの哲学者。

僕はそんな彼女の傍にソッと腰を下ろし、再び星を見つめた。

『星の王子様がね、こう言ったの。“ぼくはあの星のなかので笑うんだ。だから、君が夜空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。すると君だけが笑い上戸の星を見るわけさ(サン=テグジュペリ「星の王子様より抜粋) ”って。暗くても寂しくないように、王子様がくれたプレゼント。星を見上げるたびに、彼を笑顔でさがせるからよ、そしてその中のひとつに、まちがいなく笑ってる彼がいてくれるから・・・』

そう言って、僕の中の小さな少女は、小首をかしげて小さく笑う。

今日の彼女は能弁で、吹き抜ける記憶の風は、冷たい北風の様に心に突き刺さった。

その時、一つの星が揺らいで、ちょうど僕たちの真上の空を流れ落ちる。

もし、都会の空があれほど汚れていなければ、この美しさをもっと早く知る事が出来ただろう・・・

こんなに長い間、夜空を泳ぐ流れ星を見たのは初めてだった。

マナトは興奮した様子で子供のように「今の見たか?!」と夜空を指差している。

僕は「あぁ。」と答えた。

目の端から端まで、大きく弧を描く流れ星。

君ならきっと、その先がどこに続いているのか、知りたがるだろうと思い馳せた。

今や小さなジャングルと化したこの楽園を取り囲む、伸びきった雑草から頭を出し、階下の風景を覗いてみる。

その時、再び星が大きな弧を描いて流れ落ちた所だった。

僕は背伸びした足が攣りそうになるのも我慢して、その場に立ち尽くす・・・

次の星が流れるまでのしばしの間、僕は微動だすることなく、もう一度目を凝らして次の瞬間を待った。

そしてまた星が流れて行く・・・

「まさか・・・」

思わず言葉が口を突いて出ていた。

眉間にシワを寄せながら、マナトがバカみたいに背伸びをし、棒立ちのまま動けない僕の隣にやって来た時、またしても星が流れた。

問題はその先だ。

マナトは思わず言葉を失くしたようにあんぐりと口を開け、目が一瞬凍りつく。

これ以上ないほどの驚きに、小さくブルッと震えた。

“星が流れたその先・・・”


町はずれの、赤いペンキのド派手な屋敷へと吸い込まれて行ったのだ・・・!


奇妙に聞こえる言葉なのはわかっているが、他に説明の仕様がない。

「ね・・・これ、どーゆーこと?」

マナトが僕のTシャツの袖を引っ張りながら、パニクッた様子で僕を覗き込むが、僕はある事を思い出していた。

「・・・何点だ・・・」

マナトは動揺した瞳を僕に向けている。
人差し指が今度は空に向けられた。

「満点・・・だよね?」

マナトの奇妙に引きつった顔、さすがに今は笑えない。

「・・・最後のスパニッシュのイグザムだ・・・お前得意だったよな?」

それでもまだ訳が分からず、少し戸惑いを見せるマナトは、尻すぼみに答えた。

「エレメンタリーぐらいまでなら・・・?」

納得のいかないマナトに向き直って、頷くと、僕はそれを合図に、楽園を大急ぎで下った。

尻や頭をぶつけながらあの洞窟を疾走する姿を、今は想像もしたくない。

そこを横目で全速力で通り過ぎる。

あまりのスピードにマナトはゼーゼー喘ぎながらも懸命に追って来た。

「またかよーーー!」

マナトの叫び声に気を留めることもなく、初めてこの場所に来た時と同じように、振り返りもせずに、今度は全速力で走った。

出来るだけ早く図書館に辿りつく事だけを考えながら。

鼓動が早鐘のように耳の奥で鳴り響く。

元バスケ部の俊敏さを生かし、いきなり飛び出た石や、草を反射神経で飛び越え、ひたすら夜の公園を駆け抜けた。