Summer 7th Heaven


「どうして思い出せないんだ!」

思わず声にした僕に、黙ったままだったマナトが僕の隣まで来てソファーに腰掛けなおす。

「辛い記憶を忘れるようにも、人は出来てるらしいからな・・・」

マナトはなだめるように言ったが、頭を抱えたままの僕には全く効果はない。

「やっぱり楽園に行く、今夜、一人で。」

マナトは一旦考える素振りを見せたが・・・僕の様子を伺ってから、静かに首を横に振り、申し出を却下した。

今思えば当然の決断だ。

「明日が3日目の満月だ、もう少しでわかる。そん時はお前一人で行って来い」

心配の色が顔に浮かんでいるが、暗い気持ちを吹き飛ばす様に僕の背中を激しく叩いた。

「今は気分転換の時!さっきじっちゃんに話しつけて、夕食早目にしてもらったから、魔法の洞窟探検に行こうぜ!」

僕は目をしばたいた。

「こんな大事な時にまた探検か?!いい加減にしてくれ!」

僕の怒号が合図だった。マナトは急に険しい顔つきになって僕の胸倉を激しく掴む。

「この石頭のくそったれがっ!」

今度はマナトの怒号が部屋中に響き渡った。

「そんなに自分を追い詰めて何が楽しいんだよ?!余裕を作れよ、こんな時だからこそ!何度言った?」

マナトは息を切らせながら、がっかりした様に見つめている。

僕は黙ったままうつむくしかできなかった。

「誰もお前を責めてない」

そう言ってマナトは深いため息をついた。

「やらされてるって思った時点で、お前の負けだ。探し物は一生みつからねぇーよ!!」

そう言ってマナトは僕を突き離すと、「一人になって考えろ!」と吐き捨てたまま、静かにコモンルームから立ち去った。

僕は何も言えず、うつむき気味にその背中を見送るしか出来ない。

ため息と共にソファーに倒れ込んだ。

頭をもたげてから、フト振り向いた僕の視線の先に置いてあった鏡に、自分の姿がうつし出されてた。

フラフラと立ちあがった僕は、静かにその前までやってきて、改めて自分の姿を写してみる。

情けない顔をした、どうしようもない男の姿だ。

楽しめる余裕すらない自分の姿。

こんな時だからこそか・・・僕は不器用に、自分の前髪をなでつけた。

『笑えるよ、これからも』

ミューの言葉を思い出し、僕はしばらく頭を冷やすため、バルコニーに足を向けていた。

生ぬるい夏の始めの風が心地いい。

両腕を乗せて景色を眺めていると、小さな思い出が僕の隣で同じように頬杖をついたまま僕に笑顔を向ける。

どれぐらいここでそうしていたのか・・・

遠くの方から夕陽が早くも迫ってきているようだった。

ジリッと焦がす太陽も、目の高さにまでやって来ている。

決断のドアノブ。

僕はもしかして、捻りも出来ずにその前に立ち尽くしているだけなんじゃないだろうか?

“どうしようもないスネ夫 “・・・必要な時に、必要なものを、利他的に利用できる者だけが引き出せる道具が入った、扱いづらい四次元ポケットは、自分を守る、武器だらけに武装した、僕の戦闘服には似合わないからだ。

『大丈夫、少しずつ、荷物は減らしていけるから!』

僕は静かに隣に目を向けた。
そこに居た筈の小さな面影はもう、そこにはなかった。

再び部屋に戻ると、大理石のテーブル前に腰掛けた。

散乱したメモや本、その中にには、今朝マナトがおじいさんから受け取った地図が置かれている。

僕は何気なしに手に取ると、大きく開いてみた。

今にも破れてしまいそうな薄っぺらい折りたたまれた地図。

まだマナトが見ていなかった奥の方にたたまれた街の端の部分までも、広げて見るとその全貌がよく見渡せた。

僕は迷わず図書館があったであろう場所を指でなぞる。

そう、街外れだから・・・この辺りだ。

指で押さえると、何気なく下に置かれた、地理部屋からマナトが抜き出した地図も一緒に浮かび上がってきた。

よくわかるようにきちんと重ね、照らし合わせてみる。

下の地図からは薄く “Le**ho “という文字が浮かんで、その後は読めないが、上に重ねた地図からは ”mar*no HOTEL ”までは読み取れた。

昔ホテルだった時の名称だろうか?どうやら英語ではなさそうだ。

だけどこれは、何かの手がかりになるかもしれない!

僕ははやる気持ちを押さえ、すぐさまマナトを探す為、部屋を飛び出していた。

階段までやって来ると、下から勢いよく登って来る人影とぶつかりそうになる寸での所で、慌てて手すりに寄り添った。

いきなりの登場は計算にはなかったようで、戸惑っているマナトは、バツが悪そうに視線を外しながら口を尖らせ、モゴモゴと呟いた。

「その、今呼びに行こうと思ってた・・・」

「あぁ・・・大丈夫だ、心配すんな・・・洞窟探検楽しみだな!」

僕の言葉に、マナトは驚いた顔を見せて、そんな僕にケタケタと笑うと、「じっちゃんが早目の夕食出来たってよ!」といつもの調子を取り戻したように言った。

また少し笑って僕の首に腕を回すと、再び顔を見ては、また噴き出していた。


隠し扉をくぐると、豪勢な食事の最後の皿を運び終えるおじいさんが、笑顔で席に促してくれた。おじいさんの右手に持たれたボトルは紛れもない、賞金のワインだろう。

マナトは浮足立った様子で慌てて席に着くと、待ってました!とばかりに手を擦り合わせる。

おじいさんがコルクを抜くと、テイスティングは飛ばしてから、勢いよく、真っ先にマナトのグラスを満たした。

とてもいい色だ。

ワインについては何の説明もしなかったが、チラリと盗み見たラベルには“Romanée-conti(ロマネーコンティ) ”と記されてあった。

僕は驚いておじいさんの顔を見つめたが、「小さい事は気にするな」というような瞳で僕を見ると、そんなこと全く気にも留めていないマナトに目を移し、僕の顔を再び見てから、ニコリとほほ笑んで、ボトルをさっさとキッチンに持って行ってしまった。

何というさり気ない優しさ・・・にしては少々値が張っているのでは?などと思ったが、それを決めるのはおじいさんだ。
僕がとやかく言う事ではない。

僕たちに今できることは、このありがたいワインを楽しむことだ。

ようやく色々なことに気が付いてくる。

幸せの感じ方は、人それぞれなのだと。

それを分かつ事のできる人間がどんな人なのか?

やらされてると思った時点で、一気に人生から楽しみも奪われるか・・・重要度はそこにあるのだと、僕は初めて解った気がした。

甘え方の知らない僕のチッポケな考え一つで、人の厚意を無駄にしていたなんて・・・

一人自嘲気味に笑う僕を、おじいさんは不思議そうに見つめて、マナトに視線を送ると、マナトはいつものようにニヤッとしてから、おじいさんに向かってワイングラスを軽く持ち上げた。

極上のワインを楽しみながら、マナトはもっぱら、噂の “魔法の洞窟 ”についておじいさんを質問攻めにしている。

お酒も入って上機嫌のおじいさんだったが、頑なに「見ればわかる」、「お楽しみ」の一点張りで、中々その全貌を明らかにはしてくれなかった。

そんな2人のやり取りがしばらく続いたが、先に諦めたのはやっぱりマナトの方だった。

夜はすぐにやって来る。

おじいさんはその事を心配していたが、マナトは冒険が待ち遠しくて、折角の美味しい夕食を急いで口に詰め込んでは、高級ワインで最後の一口を流し込んでいた。

「食事終わり!ご馳走様でした!」

そう言うなり、慌てて「用意してくる!」と席を立つと、すぐさま自分の部屋へと行ってしまった。

唖然とする僕は、天井の方で聞こえるドタバタとうるさい足音を聞きながら、おじいさんに申し訳ないため息を漏らすほかなかった。

僕も食事を終えて、きちんとナイフとフォークを皿の脇に置くと、片づけ出していたおじいさんを目で追った。

「洞窟には何があるんですか?魔法って?」

マナトが居なくなった今なら、おじいさんも少しは口を緩めてくれるのではないかと踏んだからだ。おじいさんはまるで僕を品定めするように見つめると、ゆっくりと口を開いた。

「“長生きするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る。”というアラブの諺がある。」

冗談なのか本気なのか、掴めない表情でおじいさんは僕を見つめた。

「人に話を聞くということは、本当にいいことじゃ、じゃが、人の意見など必ずしも当てはまるとは考えにくい。それ以上を知るために、人は旅をしているのだからの」

ポカンとしたままの僕のバカ面にか?
それとも、僕の魂胆を見抜いてか?

おじいさんは小さくクスッと笑うと、「準備ができ次第、またホールに来なさい」といって、キッチンに戻って行った。

自分で見て決めろってことか・・・

僕はヨシ!と気合を入れて立ち上がると、早速洞窟探検の支度を整えることにした。

今度はある程度汚れることも視野に入れて、壊れてはいけないもの、ケータイなどの電化製品もひっくるめて、部屋に置いていくことも頭に入れておいた。