再び引っ越しを控えて、母親との最後の荷造りに追われていたこの地での最終日。
今日はしっかり僕にも手伝ってもらおうと、外出を禁止され、母さんの監視下に置かれた僕は、ベッドの上に脱ぎっぱなしにされていたパジャマをうわの空で畳みながら、カバンに突っ込んだ所だった。
何度も、何度も、窓の外に目を移しては、時計に目をやる。
いつもの日課の様に、ミューと会う時間を、長針が指し示し、また一つ先へと進む。
そんな時だ、遠くの方で鐘の音が鳴り響いていた。
その音がまるで何かの合図の様に、僕は母が違う方向を見ている事を確認すると、その隙を狙って家を飛び出していた。
履ききれていない靴の踵を直しかけた時、僕の名前を呼ぶ声が後ろの方から聞こえてきたが、出来るだけ振り返らない様、慌てて秘密の楽園に全速力で走りだした。
切れた息を整えながら、まるでこれが見納めの様に、最後の坂を見上げる。
呼吸を整えながらゆっくりと頂上まで登って行いく。
思った通り、車椅子にちょこんと腰かけたミューが、ゆっくり僕に振り向いた。
その姿は、出会った1年前より遥かに小さくなっている気がして、僕は泣きそうになるのを必死でこらえたのを覚えている。
ミューはそんな全てを吹き飛ばす様な笑顔で僕を迎えてくれているというのに。
『来ると思った!』
車椅子から身を乗り出して嬉しそうに小首をかしげてクスクス笑う、いつもと変わらない彼女に耐え切れなくなって、僕は大声を上げる。
『笑えないよ!』
温かい涙が、頬を伝う。
その言葉に動じる事もなく、ミューはほほ笑んだまま、僕を見つめ続けた。
『笑えるよ、これからも』
その少し後ろの方では、セバスチャンが少し寂しそうな笑顔を僕に向けていた。
グッと涙をこらえる。
彼女のやせ細った体を前にして、どうやったら笑えるのかを必死で思い出しながら、僕は涙をぬぐった。
死なないで・・・
遠くに逝ってしまわないで・・・
消えてしまいそうな彼女を目の前にして、そんなこと、どうして言えただろうか?
約束したのに、彼女を守るって・・・
ミューは病気のことを話したがらない、いつも話を反らしてしまう。
いくら幼いからといって、僕にだって、彼女が良くない事ぐらいはわかる。
だけど彼女はいつでも冷静で、笑って過ごす彼女の笑顔が急に腹立たしくなる時もあった。
そしてそんな僕のことも、彼女は遙か先まで見透かしている、それを知っていたからだったのかもしれない。
『私の心臓はうごいてる。だから、病気も止まってくれない。変えられないことは、変えなくてもいいことなの、きっとだれかが変えてくれるから』
その時、記憶の中の思い出が、彼女の笑顔が、急に揺らいだ。
辺り一面、白と黒の世界・・・
そうだ、この時、必死になって彼女に言った言葉・・・
あの時、確かに言ったあの言葉・・・
