ミューとの出会いは、僕がこの地に越してきて、3日目が過ぎた昼下がりだった。

やっと家の中も片付いて、学校が始まる次の学期までの少しの時間、僕は暇を弄び、歩いている内、ここにたどり着いた所だった。

今こうしている様に、芝生に寝転がって静かに目をつむった、そんな時だ。
顔の上に何かが舞い落ちてくるのを感じ、ゆっくり瞳を開けると、眩しい太陽の光を受けた小さな少女が、クスクス笑いながら、小首をかしげて僕を見下ろしている。

『あなた、だぁ~れ?』

驚いて飛び起きると、膝の上には無数の花びらが散らばっている。

小さくしゃがみ込んで、クリクリした瞳で僕を覗きこむ少女が、ミューだった。

僕は唐突な変わった質問に戸惑いながら応えるしかない。

『・・・ソラ、だけど・・・?』

『空?!あなた天使なの?』

そう言って少女は一段と目を輝かせると、隣に腰掛け、空を指差しこう言った。

『あの階段から降りて来たのね?』

僕は空に浮かぶイワシ雲を見つけた。

変な子・・・

そう思いながらも、嬉しそうにニコニコ笑う少女の屈託のない笑顔に、僕は思わずほほ笑み返した。

それがミューのいつものゲームだと気付いたのは、再び出会った時だっけ。

それがきっかけで、ミューが毎日ここに、半ば無理やり連れ出すようになったからだ。

学校が始まる一日前まで・・・

『じゃ、学校でね!』

『学校行ってるの?どこの?』

僕の言葉にミューは思わず噴き出している。

『この街には、学校は一つしかないのよ!』

この街の大きさがどれぐらいのものなのかも把握してない、都会育ちの僕にはとてもショックな一言だったが、知ってる人が居るというだけで、何だか少し肩の荷が下りた様だった。


そして転校初日。

都会から来た転校生は、この地ではかなり珍しいと僕は知ることになる。

アッという間に僕の周りには人だかりができ、休み時間の合間、子どもならではの矢継ぎ早の質問に答えるのに四苦八苦だった。

それが何日も続いて、一週間もする頃には、僕の周りに集まるのは女子だけとなっていた。何の興味も示さなくなった僕に、目もくれなくなったのだ。

そんな毎日に疲れきって、僕が黙る事を選択したから。

それが裏目に出たのか、女子からすれば、都会から来たクールな男の子はかっこいいらしく、毎日僕の周りでうるさい女子だけが未だに騒いでいた。

一度きつく怒鳴った事もあるが、それもすべて裏目に出る毎日にうんざりしていた。

それからは決まってそんなうるさい女子を無視するように、教室の窓から見える空を眺めた。

ミューなら・・・

転校してからずっと探しているのに、ミューの姿は校内のどこにもない。

思い切って口を開いてみると、女子たちは嫌そうな顔を交互に見合わせていた。

一番に口を開いたのは、仕切り屋で、僕の周りで一番うるさい女子だ。

面倒くさそうに説明を始める。

『あの子、体が弱いからっていっつもお休み!学校では元気なのに、ねぇー!』

そう言うと隣の女の子に相槌を求める。

『そーそー先生たちも彼女にだけはとーっても優しいの!しかも美人だし!』

その言葉に、リーダー格の少女が弾けるように立ち上がった。

『あんな子、早くいなくなっちゃえばいいのよっ!』

その言葉が僕の火種だ。

バシッという激しい音と共に、クラス中が静まり返った。

彼女は顔を真っ赤にしながら、頬を押さえ、ワッと教室を飛び出した。

もちろん、女子たちは僕に軽蔑の目を向けると、慌てて彼女を追って行ったけど・・・

その日から、僕の周りは静かになった。
言うまでもない。

それから1週間程経っただろうか、僕がついにミュー探しを諦めかけていた頃、事件が起きた。大柄な男子が、意地悪そうな小さい男子を引き連れてやって来たのだ。

乱暴に教室に入って来たかと思うと、僕の席の目の前に立ちはだかる。

隣の席の気の弱そうな男子は、こっそりイスから立ち上がり、振り返りもせず大慌てで教室を後にする姿が目に入った。

『空ってお前か?』

唸るような声に、僕が全く興味を示さない事に腹が立ったのか、おもむろに僕の胸倉に掴みかかる。

その後ろでは、リーダー格の女子が偉そうに腕を組んだまま、フンッと鼻を鳴らしているのも目に入った。

『都会から来たからって、スカして調子に乗ってんじゃねーよ!』

そう言うと、拳を上に振りかぶった。どこからか悲鳴が聞こえてくる。

『誰か早く先生呼んで来て!』

そんな声が聞こえたが、僕はもう間に合わないと感じ、堅く目を閉じたその瞬間、教室のドアが勢いよく開いたのに気がついた。

『ちょっと!やめなさいよ!!』

教室の入り口で、仁王立ちする少女が立っている。

『ミュー?』

僕は掴みかかられながらも、小さく呟いた。

『何だーてめぇ!』

お山の大将がゆっくり僕からミューに目を移す。

『バカ!逃げろ!!』

僕が必死に訴えても、ミューはこちらをチラリと見ただけで、厳しい表情のまま微動だにせず、お山の大将に睨みを利かせていた。

『あいつ、1コ上の “先生のお気に入り”だぜ・・・』

意地の悪そうな小さい男子が、細い目でミューをヒタと見つめては、大将に向かって何やら耳打ちを始めた。

何かに気づいたのか、お山の大将はシブシブ僕から手を離す。

リーダー格の女子は、その少し後ろの方で悔しそうに唇を噛みしめてから、大将をひと睨みすると、フンッと鼻を鳴らして面白くなさそうに出口に足を向けた。それに従う様に、他の一行も悪態をつきながら、大股で教室を横切って、腕を組んだままのミューの隣に置かれたゴミ箱を蹴り上げ、もう一度すごみを利かせる様に教室を後にする。

行ってしまうのを鋭い目つきで確認した後、ミューはすぐさま僕に駆け寄った。

『空ちゃん、大丈夫?!』

『バカ!無茶すんなよ・・・』

『いいから、来て!』

教室内の視線を避けるように、ミューは僕の袖を引っ張ると、すぐさま校庭へと促した。

『ずっと探してたのに・・・病気なの?』

僕は息を切らせながら、たまらずそう呟いた。

『大丈夫、それよりもソラちゃんは?』

僕は情けない笑顔で答えると、ミューはそんな僕を見て噴き出した。

僕も思わず笑ってしまった、波乱の再会だった。

『あのいじめっ子たち、私が居るとなぁんにも出来ないの!だから、これからは私がソラちゃんを守ってあげる!ね!』

そう言って僕を覗きこむミューはいつも真っ直ぐで、その瞳を否定できる言葉は、いつだって見つからない。

こうなれば、僕は自嘲ぎみに笑う事しか出来なかったが、さすがにこの状況の中、僕もゆずれない態度を示していた。

両者無言の睨み合いだ。

これではお山の大将の様に凄んでいるだけだと、再びその瞳を小さくそらして、僕は自分の靴を見つめた。

『いいよ・・・別に・・・』

『2人一緒なら平気だよ!私はソラちゃんを守るから、ソラちゃんは私の事守って!ね?おあいこ!』

『・・・わかったよ』

結局彼女にはいつも叶わないのである。

シブシブ承諾したが、ミューが心配でならなかった。

『・・・学校に来れないこともあるけど・・・』

そう言ってミューは遠くの方を見つめたが、再びパッと顔を上げる。

『ねぇ、ソラちゃん、交換日記しよう!』

そう言うと、鞄をカサゴソ探り、ミューが一冊のノートを差し出した。

『えー嫌だよ、そんな少女趣味なこと!』

僕があからさまに嫌な顔を向けると、ミューが僕の両手をしっかり取った。

『でもね、好きな人同士は、ラブレターの交換をするんだって!パパに教えてもらったの!』

好き同士って・・・

『知らないよ、そんなこと・・・』

僕は恥ずかしくて、思わず顔をそむける。

『ね、お願い!』

そう言って顔の前に両手を合わせるミュー。

『私が学校に来られない時にも、ソラちゃんのこと守れるように、知りたいの、ソラちゃんこと、もっと!』

それからだ、あの交換日記を始めたのも・・・キャラクターシールが増え、懐かしい感じになったのも。

ミューがあまり学校を休まなくなった事だけが、心配の種であり、喜びでもあった。

それから一年が経とうとしていた頃、家に帰ると、母さんが突然荷造りを始めていた。

『ソラ、母さんの就職先が都心に変わったから、帰るわよ。あなたも、自分のもの、バッグに詰めて頂戴』

別れは突然やって来て、その5日後には、ここを後にしていた。

たった一年ほどだ、たった一年・・・

今ザッと思い出せるのはこんな所だった。