「菜々子」

 不意に名前を呼ばれて、私はびくりとして顔を上げた。

「何だ。お父さんか」

 もう、私を「菜々子」と呼ぶ男性は父しかいないというのに、何を期待しているんだろう。

「どうしたの?」
「少しでもいいから、何か口にしなさい。倒れてしまうよ?」
「うん。わかった」

 私は弱々しく笑い、プレゼントを持ったままリビングへと向かう。

 テーブルにはお母さんがいつもストックしてあるお菓子と淹れたてのお茶があった。一緒に帰ってきたはずの母の姿はない。

「お母さんは?」
「今日は織江(おりえ)さんの手伝いをすると言って、さっき出て行ったよ」

 織江さんというのは真己のお母さんのことだ。
 私は深く追求せずに、定位置となっている椅子に腰掛けた。全く食欲などないが、父の言う通りにお茶をすすり、申し訳ない程度にお菓子を口に含んだ……が、やっぱりダメだ。砂のようにザラザラとして、飲み物で流し込まない限り喉を通る気がしない。火葬場で出されたお寿司も、そういえば食べられなかった。普段なら喜んで食べるトロも、まるで石のようだった。味も素っ気もなく、一カン食べるのがやっとで、恐ろしく時間をかけてしまった。

「しばらくはおいしい食事が出来ないかもしれないね」

 私のそんな姿を見てか、ふと父がそんなことを漏らす。

「真己くんと一緒にする食事はおいしかったなぁ」
「……うん」

 不意に胸がつまった。
 そうだ。もう二度と真己と一緒にご飯を食べることは出来ないんだ。