私は二千六百年(ふじむね)16歳 男 

比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。

長男で、忙しい母親に代わって妹の面倒をみてきたことが、
習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、
少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、
それを惜しむ気持ちにはあまりならない。

だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、やさしいとか
言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、
自分でも何となくそんな気になっていた。

そんなある日のことである。

友人と食事中に私は、友人から意外なことを言われた。
共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、
彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。

「二千六百年のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。「どういうことだ、それ」

「いや、だからさぁ、二千六百年は確かに相手のために
何かをしてあげているんだろうけど、結局それは、
自分の美学をまっとうするためって感じが、時々するんだよね。」