side:綾人-ayato-

姉ちゃん、理玖兄ぃ、ごめん。
俺がもっと注意していれば…。

約30分前…

俺は今朝、歩道橋の階段で落ちそうになった妊婦さんを助けた結果、足を捻挫するという失態をおかした。
その後は海咲が来て一緒に病院へ行き、
治療を施したが、全治一週間の診断を受けてしまった。そのおかげで部活とクラブのスケジュールが全て狂ってしまった。
(…退屈だ。)
病院から戻った後、そのまま家に帰った。
海咲が執拗に、
『休んだ方がいいよ!』
と言ってきたからだ。まあ十中八九、海咲は自分も学校を休みたかったに違いなかった。

「綾人ー、ホットミルクティー飲む?」

海咲が牛乳を持ってキッチンからひょこっと
顔を出した。
俺は捻挫で立てないので、海咲に料理以外のことを任せていた。

「あぁ、飲む。ハチミツ入りで。」

「はいはい、わかってるわよ。」

そう言って笑いながらまたキッチンへ戻っていった。
海咲は他の料理は全般ダメでも、ミルクティーなどのお茶類はかなりの腕前だ。
俺は海咲の作る紅茶やコーヒーが昔から大好物だった。
キッチンの方からフツフツとお湯の沸かす音が聞こえてきた。
俺はソファーに腰掛けながら、携帯のディスプレイを確認した。理玖兄ぃからラインがきていた。

『今日はそっちで晩御飯食べるって海咲から
 聞いてるか?(・_・;)今から帰るけど、買い物してからそのままお前んち行くから』

それは海咲から聞いていたから了承済みだが、問題はそこじゃないのだ。
(…どうしよっかな。)
しばらくして海咲がミルクティーを運んできた。返信文を考えながら、マグカップを口につけた。温かいミルクティーがのどを通ると、体がゆっくり暖まってきた。
最初にミルクの甘さが広がり、ハチミツの香りもふっと香った。後から紅茶のほろ苦い風味が口の中に広がり、昔から好きだったこの味が心地よかった。

「…うん、んーちょっと甘かったかな?」

海咲も一口ミルクティーを口に含んだ後、今日の出来を分析していた。いつものことだから、いつものように俺もその分析に加わった。

「俺は今日のやつ、好きだけど…。」

そう言うと、海咲は少しムッとした顔つきでこちらを見た。

「それは甘党の綾人の分析でしょー?
 私は一般的な意見を求めてるの!」

なるほど…、了解だ。
(あ、返信。)

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side:理玖

綾人にラインして15分。すぐに既読がついたのに返事がこない。
(…もしかして、自分の姉を傷付けた俺を
 軽蔑して…!?)
ぞわっと不安が全身に広がったが、そのすぐ後に返事がきた。
(そっ、そうだよな!綾人はそうだよ な!)
だが、できるだけ慎重にラインを開いてしまうのは何故だろうか…。

『了解。でも、姉ちゃんもう帰ってるよ。
 今は部屋にい……。』

携帯を持ち上げてた手の筋力が一気にダウンした。文章を読み切る前に腕が崩れ落ちてしまった。いやっ、それより…!
(美碧が帰ってる…?!)
えっ、待てよ?俺が教室出るときまだ友達と話してたよな?!いや、確かに買い物行きましたけども、ちょっと雑誌も読みあさってましたけども、うそ?!帰ってる?!!
(美碧、部活は…?!)
…あいつ、帰宅部だった。
その時、通乗車より大きなエンジン音がした。振り向くと、そこには俺たち征常高生が乗った一台のバスが通り過ぎたところだった。
(ぁぁ、バス…ね。)
俺は力の抜けた腕を持ち上げ、携帯の画面をもう一度確認した。

『…今部屋にいるんだけど、なるべく部屋から出ないようにしておくから。理玖兄ぃ
は早めに晩ご飯作って、自分んちに持って帰って食べればいいよ。海咲はこっちで預かるから。』

「……ふぅ…。」

さすが綾人。その気遣いのレベルは神をも凌ぐぜ。
(…でも。)
綾人はいつも他人に気を遣ってる。家族が困らないように、泣かないように、人に気遣いばかりしてる。それは俺がお前と出会ってからまるで変わらない。
(だけど、それはいつかお前自身の心を壊す。)
こんなの夢を見て、思ってる訳じゃない。
それくらい綾人は人を思ってる。

鈴宮家の玄関前。俺は心を決めて、ドアノブに力を込め開けた…。

バァァァン!!!!!!!

扉を開けようとしたとき、思いっ切り中から扉が開け放たれた。それと同時に俺の額も吹っ飛んだ。

「ぅがぁっっ……。」

「あーっ!!こら!理玖!!遅いよ!
 早く晩ご飯作って…って何やってんの?」

(犯人はお前かっ、バカ妹…。)
俺は半分イナバウアー状態で腰をそりあがらせていた。………。
それをバネにして、勢いよく俺は姿勢を戻した。

「ふっ!!!」

「あだっ!!!」

そしてそのまま海咲の額に頭突きを返した。

「はっ!ざまぁ…すっげぇ痛かったんだ   ぞ。」

「海咲は無罪だ!!」

(よく言うよホント。)

ようやくの事で鈴宮家に入った俺はそのままキッチンへ直行した。

(今日は海咲が家から持ってきたキノコが あるから…キノコスープカレーにするか
 …。)

冷蔵庫から人参、玉ねぎ、ジャガイモ、豚肉を取り出し、順に食材を切りそろえていった。鍋に角切りした豚肉を入れ、料理酒をかける。こうすると肉の臭みがとれるのだ。海咲が持ってきたキノコはしめじ、エリンギだったので、大きめに切って鍋でバターと一緒に炒めた。野菜も入れて炒めたあと、あらかじめペースト状にしておいたトマト、ほうれん草、りんごを煮詰めた鍋の中に加えた。
にんにくもショウガをすったものを加え、三回に分けて、カレー粉を入れる。最後にバジルを入れて、煮れば出来上がりだ。

(えぇと、次は…。)

メイン料理はもうすぐ完成。だったら、サラダかな?
冷蔵庫にレタス、キュウリ、ミニトマトが入っていたので、適当に切って木製のボールに盛った。

「…よし、海咲ー。綾人ー。スープカレー作っといたから、後は勝手に食べろよー?」

リビングを見ると、綾人の姿がなかった。

「海咲、綾人は?」

「ん。」

口を開くのが面倒なのか、あごで階段を示唆した。

(部屋に行ったのか?)

階段を上ろうとしたその時、綾人の声が聞こえた。

「……まだ、ご飯出来てないし、もう少し部屋で勉強しててよ。」

「だから、意味わかんないってば。なんで下に行っちゃダメなのよ?」

「!!」

美碧の声だ。

(やばいわ…、やっぱり。)

会いたい。顔を見たい。そんな欲求がいきなり押し寄せて、胸が苦しく痛んだ。

(すぐそこにいるのに…。)

もどかしかった。何度も何度も階段に足をかけようとして、踏みとどまった。下唇をキツく噛み締め、俺は玄関から静かに出た。

「誰か来てたの?玄関から音が…。」

「…うん。」