side:理玖

「理玖ーっ!起きろー。ご飯ー。」

もう目覚める事のできなくなった目覚まし時計と甲高い妹の声が耳に響いた。
…PPPPPPPPP…。
けだるく目覚まし時計を止める。
そのまますっと天井を見上げた。
(…また思い出してきた。)

6月4日。3年と2ヶ月の美碧と俺の時間は
あの時止まった。
 
『別れよう。』

今でも思い返せば涙が滲む。視界が一気に
ぼやけてくる。
あの時のあの言葉には後悔はなかった。
あの決断と行動には未来へ繋がる幸せに
なるから。…悲しいのは今だけだ。

俺は沈んだ気持ちを断ち切るように、ベッドから立ち上がった。制服に着替え、そのまま下へ向かった。

あれから1ヶ月。今はもう7月4日になる。

階段を降りていくと、ブイヨンスープの香りがリビングに広がってるのがわかった。

「おはよう、理玖。早く食べなさい。」

「はいよ。」

父さんに言われるまま、俺は食卓の椅子に腰掛けた。
今日はブイヨンスープとオムレツ、サラダ、パンという朝ご飯だ。
食パンに手を伸ばそうとすると、目の前に座っている奴が俺に鋭く注意した。

「顔を洗って、髪を整えてから食事にしろよ。」

「後からー。あ、宙羅(そら)。ジャムとって。」

「海咲もー。」

前方と横方から伸びる手に宙羅は躊躇なく
海咲を選んだ。こーゆー時、宙羅の優先順位は9割方妹の海咲へいく。もう半分以上諦めてるから何も言わない。ま、俺は兄だしな。
(………それに。)
理由はそれだけじゃない。
俺が4枚目の食パンを取ろうとしたとき、父さんの声が俺を指名した。

「理玖。」

「ん?」

「今日も夜は遅くなりそうだ。晩ご飯は鈴宮さんの家で…あっ。」

父さんはしまったと言わんばかりに口をつむいだ。
そう、鈴宮というのは隣の家の鈴宮 美碧の家の事だ。俺たち西崎家と鈴宮家はとても仲がよく、それは近所でも有名な程だ。
だが、俺と美碧の事がきっかけでこちら側としては気まずさが半端ないのだ。
(だけど…。)

「なんだよ?もう1ヶ月経つのにそんな気遣わなくていいって。俺は平気。」

俺のせいで家族ごと関係が悪くなるのは
どうも気持ちいいものじゃない。
こうでも言わないと、ずっと俺と鈴宮家に気を使い続けそうだ。

「……。」

父さんは静かにこちらを見つめていたが、
俺は目線を合わせず食事を続けた。
やがて俺の好きにさせようと思ったのか、
支度の続きをし始めた。

「じゃあ宙羅。今夜は鈴宮さんとこでご飯を食べてくれ。あそこには綾人君もいるから大丈夫だろ?」

「わかった。海咲、後で綾人君にこの事
 伝えといて。」

「うん。」

…ということは、つまり…
俺は美碧に必ずしも顔をあわせなきゃならないってことだ。

自分で巻いた種なのに、こんなにダメージ受けてどーすんだ全く。
そうして何気なく時計を見ると、目を見開いた。

「おわっ?!!弁当ぉ!」

急いで残りのご飯たちをかっこみ、キッチンに立った。冷蔵庫を確認すると、キノコが山盛りになってスペースを飲み込んでいた。

「父さーん!なんでこんなキノコあんの?!」

リビングを見回しても父さんの姿はなかったが、二階から返事が聞こえた。

「あー、それはおじいちゃんから送られてきたんだよ。今日はキノコ鍋にしようと思ったんだけどな~。」

俺達のおじいちゃん。母方の祖父の事だ。
おじいちゃんは長野に住んでいて、時々山の幸を送ってきてくれていたのだ。

そういえば話してなかっただろうか。
この西崎家には母はいない。
正確に言うと俺が10歳の時に遺伝の病気で
亡くなってしまった。
だから俺たちは長い間父子家庭で育った。

「じゃ、このキノコ使うからなー。」

(早く使わないと梅雨入りしたら、傷んじまうし。)
母さんが死んだ時から、料理は俺の役目になった。料理は自然とできた。
なんか絵を描くのと似ている気がして、
手を込めた分だけ味わい深さが大きく感じるのだ。
(まず椎茸か…昨日つくね用に作っといた鶏肉のミンチ漬けがあったな…。椎茸の肉詰めにしよ。)
頭に完成品を思い浮かべながら、手を動かしていく。鶏肉は砂糖、醤油、みりん、酒で下味をつけてあるから、九条ネギと混ぜて椎茸の傘の裏の部分に詰めてオーブンで焼けば完成だ。

「えのき、しめじ、エリンギはえーっと…。」

(あ、バターソテーにしよ。)

という風にテキパキと料理をこなしていると、横から海咲の高音ハスキーボイスが聞こえた。

「器用ー、いいなー、ムカつく、能なしおかん。」

さんざんな言われようだ。うちの妹はルックスはそれほど悪くないと思うのだが、俺に対してだけ口がよく働くらしい。

「私も料理できるのにー。」

そう言って頬を膨らました海咲だが、実際海咲の料理は料理と呼べたものじゃない。
…と考えているうちに弁当四つ分できた。

「後は自分らで包めよー。」

俺も自分の支度しないとさすがにやばくなってきた。学校は8時半まで。そして現在7時51分。洗面所にて海咲と2人並んで髪を整える。

「…ん~、んん~。」

近頃の中学生はヘアアイロンを毎朝使っているらしく、我が妹もその一人になっている。そして…。

「はい、後ろのとこやって。」

無造作に目の前に出された物体。これも毎日の忙しい朝の日課となってしまった。
だが、アイロンなのだから至近距離で手渡すのはやめてほしい。すこぶる危険だ。

「お前なぁ、こーゆー事お兄ちゃんにしてもらって恥ずかしくないのかよ?」

ゆっくり丁寧に妹の背中まで伸びた髪をアイロンで真っ直ぐに流していく。実質、こいつの髪は天然ストレートでもともと真っ直ぐなのだ。やらなくても良いと思うのだが…。

「全然?それよりちゃんとやってよね!
この頃くるくるしてきて気になってるの。」

…女の感性は未だ謎に包まれている。

そうやって髪をとかしていて、ふと時間が無いことを思い出した。

「海咲、友達待たせてんじゃねーのか?
 由衣ちゃんだっけ?」

一応その友達の事を思って忠告したのに。

「大丈夫。由衣は私が毎朝遅れる事を理解してるもの!」

だったら彼女を思ってもう少し早く支度しようとは思わんのかバカ妹め。

「よし、しゅーりょー。早く行け。」

「はーい。」

ヘアアイロンをしまうと、海咲はトテトテと洗面所からでていった。
現在8時11分。学校までは徒歩で15分かかる。
(今でれば、遅刻は免れそうだ。)
足早に靴を履いて、玄関の扉を開けて出て行こうとしたその時、家電が鳴り響いた。
(………っ。)
海咲は出ないのだろうか?父さんは知らぬ間に仕事に行っているが、宙羅もいるはずなのに。
(はぁ。ったく。)
本当に億劫だったが、靴を脱ぎ家に上がった瞬間、呼び出し音が止まった。
(俺の労力返せ、コンニャロ。)
出たのは海咲らしかった。ドア越しで海咲の声が聞こえる。

「綾人?どうしたの?えっ!………うん、
 うん。今からそっち行くから…。ダメ、
 うるさい、早よ行くから待っときなさい
 !」

海咲は綾人との電話を強引に切ると、すぐにまた電話をかけ始めた。
口調からして、由衣ちゃんだろう。

「ごめん、うん…了解。じゃ、先行ってて、バイバーイ!」

しばらくして海咲が玄関に来た。

「何やってんの?」

「靴履いてた。」

盗み聞きしていたことは黙っておこう。

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side:美碧

7月4日午前8時27分。
私は学校の校門前にある並木通りを走っていた。
(小説読みながら寝落ちするとは思わなかった~っ。)
昨日はある小説を買った後、ハマりにハマってその小説家の系列の本を全て買い揃えたのだ。心を踊らせながら、読んでいたら…
朝になっていた。

正面玄関で靴を履き替え、急いで教室に向かおうとした時、足が止まった。
(うっ…林田先生だ。)
教室へ続く階段の真ん前に生徒指導の林田が仁王立ちで立っていた。生徒指導さながらの厳しさで生徒泣かせとも呼ばれるほど、校則違反した生徒を怒鳴り散らしている。
私はあの先生が苦手だった。
要領の良い人なら上手く切り抜けられるのだろうが、私はそこまでやり切る度量がなかった。
(どうしよう…あの先生に見つかりたくない。)
でも教室へ繋がる階段は林田の立つあそこしかないのだ。時間もないし…と足を動かせないでいると、後ろからよく聞き慣れた声が聞こえた。
(あぁなんで…。)
会ってしまうんだろうか。

「すんませーん!遅刻っす!」

懐かしくて、恋しくて…また涙が溢れそうになってくる。
涙を見せてはいけないと彼が走ってくる方向に背を向けた。…が、いきなり腕をつかまれ私は彼の背に密着するような形で階段を走った。

「見りゃわかる!!お前あとで生徒指導室に来い!!」

林田先生には私の姿が見えなかったらしい。彼の大きな体の陰になっていたから。
(自分の体で私を隠して、助けてくれたんだ。)

「ごめん被りますよー。」

そう言って林田を切り抜けた彼の後ろ姿が
とても眩しく見えた。この背中に抱きつきたかった。ギュッと力を込めて…大好きって
伝えたかった。

2-Bの教室前。私達の教室の前で足を止めた。
まだ力強く握られた右腕が熱くなっていくのがわかった。
(でも…。)
私が彼に持ってる感情は彼にはもうないのだ。

「ありがと…理玖。もう大丈夫だから、
 放して。」

「え、あっ、あぁ。ごめん、痛かったか?
 ………林田に捕まると…ほらめんどうだ
 しさ。困ってたように見えたから。」

うん、うん。困ってたよ?ホントに助かったし、嬉しかった…。
(こうゆう風に話しかけてくれるのが
 とても…。)
涙が滲んできた…。自分の未練がましさを
思い知る。もう1ヶ月も経つのだ。そろそろ本当に振り切らなければならない。

「ありがとっ。ホント助かっちゃった。
 教室入ろ!」

(…笑え、笑えっ。)
涙をこらえて、震える唇を噛みしめて必死に笑った。

「あぁ。」

(…あ。)
理玖はにこっと私に微笑んでくれた。
でもそれは出会ったばかりの社交的な笑顔で…。今の私にはそれはとてもきつく心に響いた。

教室に入っても心に響いた苦々しさは消えてくれなくて、前の席のクラスメートが話しかけてくれていても、他人が話すように遠く聞こえた。
(もう…戻れないってわかってるのに…。)
今でも全身で君が好きなんだ。