ファイツにはわかっていた。今ならこの混乱に乗じて逃げられる。

しかし、逃げる気が起こらない。そんな気力がわかない。人間を傷つけて憂さを晴らす気にも、到底なれなかった。

建物の崩落に巻き込まれぬよう校内を走っていると、校門前に倒れている人間をみつけた。

全身を焼かれ、爪で引き裂かれ、すでに絶命している。

残った髪の毛からかろうじて人物を判断できた。

―バリバウスだ。

妖精たちの怨みを一身に背負っていた彼は、真っ先に標的にされたらしい。

それをファイツは哀れと思った。しかしいい気味だとは素直に思えなかった。

人間たちも与えられた気の力に乗せられ操られた、ある意味不幸な存在なのではないかと思ったからだ。ファイツはどこか冷静だった。

ファイツは遺体をそのままに、1―35の自分の教室へと向かった。

あそこなら気でできていないから、崩落に巻き込まれることもない。

見慣れた教室にたどり着くと、そこで共に過ごした二人の姿が、否が応でも脳裏をよぎった。

いつも明るい笑顔で…羊皮紙に文字を書いたら泣いて喜んだシルフィ。

いつも鬼のように厳しいが、時折優しく笑うテフィオ。

やっとできた、大切な人間。

それなのに…。

見慣れたぼろ教室が涙で滲んだ。

それなのに、テフィオはラダメシスのために自分を殺そうとした。ためらいもなく。

テフィオにとってファイツは、結局利用価値のあるただの駒だったのだ。

所詮は人間と妖精。双方の間に絆(プティ)など―やはりなかったのだ。

もう何も見たくない。

もう何も聞きたくない。

どうにでも、なってしまえ…。

シルフィは、テフィオは、今どうしているだろう。

そう案じる自分を心の奥底に押し込めて、ファイツは一人、教室に閉じこもった。

人間など…滅びてしまうがいい!

ただ脳裏をよぎる二人の明るい笑顔に、涙が止まらなかった。