その声の主は迷うことなく正樹の元へ向かった。
「ごっめん、遅れちゃった。」
私はその光景にただ息を飲んだ。
「あ、俺も今来たとこ。」
だってその声の主は、いつかの時の女の人だったから―――
正樹の横に立つ、ふんわりとした雰囲気の可愛らしい女の人。
スーツの正樹に対して、今回も私服と思える格好。
少し鼻を赤くして、走ってきたせいか呼吸を整えながらさりげなく正樹のスーツの袖を掴んでいた。
「んだよ、香織。走ってきたのか?」
「うん。だって遅れちゃうと思って。寒い中待たせるわけにはいかないし、仕事も途中でしょう?」
「そんなこと気にしなくていいのに。」
「……。」
ねぇ、これは一体何?
香織って―――この女性のこと?この人は誰?
ていうかどうしてそんなに正樹は平然としているの?
私の中で大きな雲の塊が私を覆い尽くす。
鼓動がドクドクと激しく波を打ち、手足が震えた。もちろん寒いからではなくて。
「…あら?お知り合い?」
私が立ち止まっていたせいか、その女性はキョトンと首を傾げて正樹に聞いた。
次の瞬間、正樹はハッと我に返ったかのように、
まるで今まで私の存在を忘れていたかのように、掴まれていた袖を小さく振り払い「あ、紗子…っ」と言った。
「……。」
私はその時になって初めて動いた。小さく2、3歩後ろへ下がる。
嫌だ…嫌だ。何も聞きたくない。
そう率直に思った。
正樹の顔を見て、真実を知ったような、そんな気分になった。
だって、そこにあった正樹の表情は、いつもの優しい穏やかな笑顔ではなく、少し焦ったような作り笑いをしていたから。

