その後はトイレに逃げるのも忘れ、曲を聴かないでその姿をずっと見ていた。


 次の日は学校で、彼はいつもと変わらない姿で小説を読んでいた。
「トランペットって面白いの?」
 彼は顔を上げて私を見た。
「面白いよ」
 それが私と彼がはじめて交わした最低限以外の会話。
 彼は小説を読んでいるときは、何があっても顔を上げなかったのに、そのときは私を見たので私は驚いた。
「演奏会に行ったの」
「ふ~ん」
「ソロ演奏していたけど、緊張しないの?」
「するよ」
「あのときも?」
「してたよ」
「嘘だあ」
「本当だよ」彼はそれから小説に栞を挟んで机の上に置いた。
「足がガクガク震えていたよ」
「そう見えなかった」
「それならいいけど」
「いいの?」
「いいよ」
「なんでトランペットなの?」
「面白そうだったから」
「それだけ?」
「そうだよ」
 そのとき教室に先生が入ってきた。
「みんなおはよう」
 私と彼のはじめての会話は無事終了。


 それからは、私と彼は朝の短い時間になにかと話すようになった。
 朝のニュースとか、部活動のこととか、勉強のこととか、将来のこととか。
 本当にどうでもいい話。
 そのときふと思いついたことをただ話す。
 そんな感じ。
 たぶん。


「高校が終わったら仕事をして、いい旦那さんを見つけて、いい奥さんになって、幸せになる」
「なにそれ?」
「私の未来設計」
「設計なの?」
「たぶん」
「ふ~ん」
「あ、それから子供は二人。女の子一人に男の子一人」
「子供は選べないよ」
「これは予想」
「未来予想?」
「たぶん」
「ふ~ん」
 こんな感じ。