「久しぶり」
「うん」
 彼の息が白い。私もだけど。
「本当に僕の家でいいの?」
「家がいいの」
「そう」
「うん」
「じゃあ、後ろに乗って」
「うん」
 今度は躊躇せずに彼の体に腕を回す。
 走り出すと風が冷たくて、私は彼の背中に左頬をくっつけた。
 あったかい。
 今度は彼も緊張していなかったと思う。
 たぶん。
 彼の家には三十分ぐらいで着いた。
「寒いね」
「うん」
「いつ帰ってきたの?」
「三日前」
「ふ~ん」
「あなたは?」
「僕は昨日」
 彼は家のカギを開け、ドアを開けた。二人で中に入る。
 今度は台所じゃなくて、そのまま彼の部屋に入る。
「誰もいないの?」
「仕事に行ってる」
「お母さんも?」
「お母さん?」
 そう聞き返された。
「夏休みに来たときに会った人は、お母さんじゃないの?」
「あー、あの人は違うよ」
「違うの?」
「そう」
「誰?」
「叔母さん」
「叔母さん?」
「お父さんの妹」
「そうなの?」
「そう」
 彼はまた牛乳を持ってきた。前と同じようにコップに注ぐ。
 私はその様子を、体育座りをして見ていた。
 彼は笑いながら、「背は伸びた?」と聞いてきた。
 首を振って「ううん」と答える。
「お母さんいないの?」
「僕?」
「うん」
「いないよ」
 彼の笑顔が消えたので私は気まずくなって、膝の上で組んだ両腕に顔半分を埋める。少し上目遣いで彼の顔をうかがった。
「あんまり気にしてないけどね」
「どうして?」
「僕はお母さんのこと覚えてないからだよ」
「覚えてないの?」
「僕が生まれてすぐに死んじゃったからね」
 それから彼はコップを私に差し出し、「暗い話してごめんね」と言った。
 私はそれを受け取る。
「ううん。私もごめん」
「いや、いいよ」
「でも、」
「でも?」
「ちょっと嬉しかった」
「嬉しい?」
「うん」
「どうして?」
「私も、」
「私も?」
「お父さんがいないから」
「そうなの?」彼が驚く。
「うん」
「ふ~ん」
「だから、ちょっと嬉しかった」
「仲間がいて?」
「たぶん。ごめん変な女で」
「そんな事ないよ」
「でも…」
「僕も嬉しかった」
「なにが?」
 彼は笑顔になった。