しばらくして、扉の向こうから物音が聞こえた。
杏奈は顔を上げて、よろよろと立ち上がった。
そしてバスルームの扉を開けると、そこには──
「未来……、何で……!」
半ば放心状態で立ち尽くす、ゾンビ男の姿があった。
中野の亡骸を見下ろして、絶句している。
大きな身体がガタガタと揺れ、膝から力が抜けたようにその場に座り込んだ。
「くッ……嘘だろ!? おい、起きろよッ……未来!」
男は声を震わせながら、中野の細い身体を胸に抱き寄せた。
悪臭を放ち、血と汚物に塗れている彼女を。
「ヒッ……何で、何でだよ……? 未来、お前は何も悪ィことしてねーのに!」
あの無口で無愛想だった男が肩を揺らしながら、一人の女の死を悼んでむせび泣いている。
こいつ、中野のことが好きだったんだ。
皮肉ね……。
杏奈は哀れむような眼差しで、涙と鼻水で顔をグチャグチャにした男を見つめた。
みんな、誰かを愛し、愛されて生きている。
それこそが人間としての幸せであり、生きる意味でもあるのだろう。
たとえその想いが一方通行だとしても……。
人間って悲しい生き物だ。
「……ねぇ、リーダーって何者?」
杏奈は静かに疑問をぶつけた。
しかし、男は睨むように杏奈を見ただけで、答えようとしない。
ショックとやるせない怒りで、話す気力もないのだろう。
重苦しい空気が流れる中、男が中野を抱えて立ち上がった。
「……俺は、先輩を尊敬している」
部屋から出る直前、男がポツリと鼻声で呟いた。
一語一句、噛みしめるような言い方に違和感を覚える。
あなたの好きな人を死に至らしめたのに?
杏奈はそう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
本人が監視しているかもしれない。
……口は災いの元。
扉が閉まる音と同時に、杏奈は息を吐き出した。
とりあえず、死体が目の前から消えて一安心だった。


