オリーブの首飾り(3)

木曜日、午後2時
渡辺和也は仕事に追われ食事も摂れていなかった。

仕事が一段落した後、仕事場から離れて会社の食堂に入ろうとしたら、携帯電話の呼び出し音が鳴った。


電話の相手は警察だった。
和也は電話口から聞こえてくる言葉に自分を失いそうになってしまった。


妻の春子が花山咲子が一人で家にいたところを連れ出したと言う。


咲子を連れまわし、探しに来た咲子の母親と諍いになりそれを振り切って家に連れ帰り立て籠もっている、と言う。

春子は親子と再開後親しくなっていた。
ただ、流石に咲子の心臓提供者の母親だとは言わなかった。


春子は和也には言ってない。
言えば付き合いに反対されるからだ。


迂闊だった。
何故もっと気をつけなかったのか!

こうなるかも知れない事は予測出来たのに………
和也は悔いたがもう遅い。


急いで家に帰ると、既に警察の非常線が張られ、野次馬も遠巻きにしていた。

春子は警察が来たら咲子と一緒に死ぬ、と言ってるらしい。
春子は果物ナイフを持っていた。


「私に説得させて下さい。お願いします」
和也は警察に頼んだ。

和也は悟っていた。
警察が踏み込めば春子は一人で死ぬ。
春子が女の子を傷付ける訳はない。
正一の命を傷付ける訳はなかった。

警察は和也に女性を一人付ける事を条件に説得を任せる事にした。

飲み物を持たせた婦人警官だった。
隙を見て春子を取り押さえるためである。


和也は婦人警官と家に入る時に、
「私が必ず説得します。それまで待ってください。お願いします」
「分かってます。でも娘さんの保護を優先しますから」

春子はキッチンにいた。
咲子の身体を引き寄せ右手に果物ナイフを持っていた。

和也と婦人警官は居間にいる。
手の届きそうな所にいた。
「春子!その子を離してくれ!こんな事をして何になる!」

「この子は私の子供よ!私の子供を連れて帰って何処が悪いのよ!私とこの子を引き離すなら私はこの子と一緒に死ぬわ!」


和也は涙が流れて来た。
ここ迄春子が思い詰めていた事を何故、気付いてやれなかったのか。
自分は仕事に没頭する事で正一の事を忘れようとした。

時には春子の事も忘れた事もある。
だが、春子には思い詰める事しか出来なかった。

自分の責任でもあった。
「春子!その子を離してくれ!その子にはちゃんと父親と母親がいるんだ!だから………」

だから………
「俺が一緒に………お前と一緒に死ぬから、その子を離してくれ。一緒に正一の所に行こう」

和也は春子と死ぬつもりだった。
それがせめてもの償いだった。

春子はナイフを持った手を自分の首に充てた。
「咲子ちゃんごめんね。あなたごめんね」
「春子!待ってくれ!その子をはなしてくれ!代わりに俺が一緒に死ぬ!………一緒に………正一の所にいこう!」


「待ってください!二人とも待ってください!私の話しを聞いてください!」
咲子が叫んだ。

「正一さんの手紙があります。」

咲子はここに来る途中で初めて春子が正一の母だと知った。
「手紙?」

和也と春子は何の事か分からなかった。
「この中に入っています」

咲子はオリーブの首飾りの花の、横についている親指大の飾りを掴んで見せた。

それはオリーブの実を模したカプセルだった。
その中に手紙が入っていた、と言う。
春子は思い出していた。

オリーブの首飾りを正一にあげた時に、正一がそのカプセルを付けたのを………

咲子はカプセルから丸まった紙を取り出した。
そこには、


「私の心臓を貰ってくれた人へ。私の心臓は父と母から貰った大事なものです。私の父と母に感謝して下さい。正一より」


咲子は、
「私は正一さんと、正一さんのお父さんとお母さんに感謝します」

咲子は泣いていた。
「二人とも私のお父さんとお母さんです」

そして、
「二人が死ぬなら私も一緒に死にます」
そう言った。



春子の罪は免れないが、多くの人が減刑嘆願書に署名した。

その中には花山咲子とその両親の名前も載っていた。