「ジェイドさん、今日は秘書のお仕事休みなの?」
「うん。でもこれからバンフリオンサ(プリンセス)教育があるの」
「あぁ、それでこの服なんだ」

ヒルダさんが言ったとおり、ジェイドさんが着ている民族衣装にも、紫色が入っている。

「着なきゃいけないって義務はないんだけどね。今日は頼まれて」
「ふーん」

どうやらバンフリオンサ教育上で必要だから、今日はジェイドさんも紫が入った民族衣装を着ているらしい。

「バンフリオンサ教育ってどんなことをするの?」
「うーん。主に作法とか、イシュタール王国や王家の歴史を学んだり、王族の方々の名前とか舞踏を教えてもらったり。でも私の場合はバンフリオンサだし、そのあたりは元々学んで知ってることが多いから、そこまで教育されることはないのよ」
「じゃ・・バンリオナ(王妃)となると、もっと教育されるとか・・・」
「かもね。私はそこまで知らないけど、少なくともイシュタール語が話せることは必要かもしれない。でもあなたはもうイシュタール語を十分理解できているし、しゃべれるから、その点は大丈夫ね」
「え!いやその・・・」
「大丈夫。カイルはあんな性格で、かなり強引な部分はあるけど、相手のことを思いやることは決して忘れない。相手が好きな女性なら尚のこと。だからあなたに無理強いはしてないでしょう?」

とジェイドさんに言われた私は、過去のあれこれをざっと脳裏に思い出してみた。

「・・・確かにそうかも」
「ね?でもまあ、あなたが気遅れする気持ちはよく分かる。私だってそうだし」
「ジェイドさんも?」
「そうよー。それに以前カイルとつき合ってるフリをしていたでしょ。あいつにふられたから弟に乗り換えたとか、二股かけてたとか、特に嫉妬深い後宮の女たちからあれこれ陰で言われてることは、私も知ってる。テオと結婚することが公式に発表された後、私と同じ身分の低いある女性から、“身分を格上げしたいから、リ・コスイレ(国王様)とプリンスを手玉に取ったの?”って聞かれたこともあったわ」
「な・・・ひどい!カイルが聞いたら“斬る”って言いそう!」

私は結構本気で言ったんだけど、ジェイドさんは最後のセリフが笑いのツボにはまったのか、ゲラゲラ笑った。

「あーおかしい!!でもね、私はプリンスのテオドールを愛してると言うより、土マニアでちょっと抜けてて、それでいてのん気なテオを愛してるの。そんな彼と一緒にいたいし、一緒に家庭を築いていきたい。テオも私も、向いてる方向と進みたい方向が同じなの。身分より大事なことはそっちだと思う」
「うん!それよく分かる!!」と私は言いながら、何度もうなずいた。

「だから周囲がどうこう言ったり嫉妬しようが、私には関係ない」とジェイドさんは言うと、右手の人さし指で右耳を指さした後、左手の人さし指で左耳を指し、そこから通り抜けるように人さし指を向こうへ指した。

「通り抜けちゃうんだ」
「そういうこと。だからね、カイルのことを信頼してあげて」
「え」
「あいつがあなたのことを信頼しているように」
「・・・うん」
「あ、そうだ!」とジェイドさんは話題を変えるように、わざと明るく言うと、ポケットから何かを出した。

「これ。ボニータからあなたへ渡してって頼まれたの」とジェイドさんに言われた私は、素直にその包みを受け取って、さっそく開けてみた。

「わぁ・・・」

白く輝く石は、私の握りこぶしより、一回り程小さい。
研磨もされてない、ゴツゴツした見た目が自然そのものって感じを際立たせている。

「キレイ」
「これは水晶(クリスタル)のペーパーホルダーよ。もちろん、ただの置物として使ってもいいし。どうやらあなたは宝石類に興味がないってあいつがボニータに吹き込んだらしくてね」
「あぁ。でもそれ事実だから」

ボニータさんに「すみません」って言いたい・・・。

「というわけで、どうしようって悩んだ挙句、これなら気に入ってくれるんじゃないかって」
「とってもステキ!ボニータさんにありがとうって言いたい!」
「今日ティアラのことでボニータと話すから、そのとき言っておくわ」
「ゴライブ」

そのとき、私にしてはかなりの斜め前の至近距離に、華やかな集団が見えた。

あ。あの美人さんは・・・花壇で会った。
私の体が無意識に強張る。
そしてあの時掴まれた左手首に、クリスタルを自然に当てていた。

華やかな集団は、挑むように私たちの方へ歩いてきた。
う。ヤな予感・・・。

華やかな集団は、私たちと少し距離を置くと、「ジェイド様」と言った。
そして膝を折って優雅にレディな挨拶をする。

わざと「様」の部分を強調するような言い方。
そして挨拶も、「してやってる」って感じがビンビンに伝わってくる。
しかも私の存在に至っては、いないものとして扱っている。
ま、その方が気楽でいいんだけど・・・。

でもせっかく美人な容姿をしているのに。もったいない。
トータル的にみんな感じ悪いと思わざるを得ないよ。

「ごきげんよう」
「ホント。貴女を見かけてしまったから、ワタクシの機嫌はあっという間に良くならなくってよ」

は?美人さんが言ってる意味が、全然分からないんですけど!

「あらぁ。私の思ったとおりね。良かったわぁ」と言うジェイドさんの顔は、ニッコリと微笑んでいる。

ジェイドさん、強い!
私も何か言った方が・・ううん、ヘタにこじらせるのはダメ!
返ってジェイドさんを余計に傷つけてしまう。

そのときジェイドさんが立ち上がった。
私もすぐに立ち上がる。

というのも、華やかな集団の斜め後ろから、カイルが歩いてくるのが見えたからだ。

「な・・・やる気!?」と勢い込む美人さんに、ジェイドさんはクールに「リ・コスイレ」と一言言うと、頭を下げた。

ジェイドさんの場合、国王(リ)であるカイルの秘書の仕事をしている時は、もちろん頭を下げる必要はない。
でも今日は秘書の仕事は休みで、しかもカイルと一緒に歩いているわけでもない。
いくら未来の義兄になる間柄でも、国王(リ)が通れば頭を下げる。

そしてカイルの女である私も、国王(リ)であるカイルが通れば頭を下げることは必須だ。
あぁ、でも久しぶり。
ていうか、王宮でカイルに頭を下げるのは、これで2回目だよね。

私たちが頭を下げた先を見た華やかな後宮集団は、慌ててカイルの方向に向き直ると、一斉に頭を下げた。

前回同様、カイルは華やかな集団の前を、ただサッと歩いて通り過ぎた。
美人さんたちの中には、「リ・コスイレ」と言った人もいた。
もちろん、私を花壇に突き飛ばした美人さんも。

あの人はきっとカイルのことが好きなんだろうな。
だからカイルに気に入られようっていうか、目にかけてもらおうと必死にアピールしているように思える。
でも当のカイルは、存在すら知らないって感じで。
一途に恋しても、決して実らない思いを抱えてる美人さんがかわいそう・・・。
でも私がいなければ・・・ううん、私だって、いつか美人さんと同じ思いを抱くことになるかもしれない。

カイルの足元が見える。
どうやらこっちに歩いてくるらしい。

案の定、カイルは私たちのところへ来た。

「リ・コスイレ」
「ジェイド」

あぁこれ!前テオも言ってたよね?
私も言わなきゃいけない?
でも前は私も植物と同化されてたし・・・。

どうしたらいいのか分からないけど、ジェイドさんも言ったんだ。
無視されてもいいや。

「リ・コスイ・・・」
「頭を上げろ」

・・・・・・ん?
今の・・・私に言ったの?
わ、分かんない!
と思っていたら、スッと手が伸びてきた。

風と一緒にオレンジの微かな香りも運ばれる。

その手は私の顎に当てられて、そのまま顔を持ち上げられた。
あ。やっぱり今のは私に言ったのかと、それで分かった。

「ナギサ」
「は、い?」
「おまえは俺に頭を下げる必要はない」
「え?でも・・・」
「おまえは俺の女であり、未来のバンリオナだ」
「またその話を持ち出・・・」
「俺に同じことを二度以上言わせるのは、愛し合う時だけで十分だ」
「ななななな・・・!」

私の隣にいるジェイドさんは、頭を下げたままプッとふき出した。
カイルの後ろに控え立っているカイルの秘書のイングリットさんは、思いっきりギョッとした顔をしたけど、私と目が合ってしまったとき、護衛の二人みたく「私、何も聞いてません」って顔になり、目を背けてくれた。
恥ずかしさといたたまれなさが少しばかり和らいだ気がして助かりました・・・。

そして護衛の二人よりももう少し離れたところで頭を下げている華やかな集団の中でも、少しばかりどよめきが起きた。

・・・ってことは、あの人たちにも聞かれてるってことで。
ていうかカイル、わざと煽るようなことをこの場で言ってない!?

・・・なんで?