「町のどこからおまえがタクシーに乗ったのかは知らんが、町から空港までのタクシー代は、多くても25ギルダ程のはず」
「12ギルダだった。でも引き出したお金は全部500ギルダ札で。オジサンはおつりがないからって結局タダで乗せてくれて。ラッキーと思ったけど・・・オジサンには悪いことしちゃった」
「それの好意は素直に受け取っておけ」
「うん・・・あ、カイル」
「なんだ」
「さっきのお金だけど・・・」
「あれは職員たちへの臨時ボーナスだ。案ずるな。あれは俺とおまえのプライベートな金。公金ではないから賄賂にはならん。それに俺の口座にはまだ十分残高がある」
「・・・ごめんなさい」

うなだれたままだけど、私はやっとカイルに謝った。

「おまえは変わった女だ。俺のそばにいれば、衣食住はもちろん、金に困ることも生涯ないと言うのに、おまえは二度も俺から逃げようとした。しかも俺を他の女と共有したくないという嫉妬が理由で」
「そそそれはっ!そんな・・・」

つい顔を上げてカイルを見た。
カイルはとても穏やかな顔で、私を見ていた。
私が逃げたことを怒っているんじゃなくて、この状況を楽しんでいるように見える。
だからか、私はすみれ色のカイルの瞳に惹きこまれるように、イケメンなカイルを見つめていた。

カイルが右手を上げて、私の髪に触れた。
そのまま髪を一房持っていじりながら私を見続ける。

それだけで私のドキドキは早く高鳴り始めた。

「おまえがしたことは前代未聞のことばかり。訓練以外でサイレンを鳴らした者はおまえが初めてだ」
「ぐ・・」
「尤も、ピアスのことは王族の者はもちろん、王宮にいる者は皆知っておるからな。バカな真似を進んでする奴などおらんということだ」
「うぅ・・」

てことは私、バカなんだ・・・。

「おまえは面白い女だな」
「は、ハハハッ」

もう笑うしかないよね。
でもカイルの指がピアスに触れて、そこに意識が集結しちゃう。
カイルに触れられたところがジンと熱くなる。

それからすぐにカイルは手を放して、代わりにフォンを手に取った。

「・・・ああそうだ。ナギサは俺と一緒にいる。連絡が遅くなってすまない。もう解除しても良いぞ」とカイルは言うと、フォンを切った。

それを額に当てながら、フゥと息を吐くカイルの横顔は、疲れて見える。
でもイケメンだから、そのポーズすらキマッている。


それから王宮に着くまで、カイルは私の存在を完全無視して、タブレットをいじっていた。
どうやら公務中のようなので、私は邪魔をしないように、極力縮こまっていた。






王宮に着くと、カイルはまた私を抱きかかえて歩き出した。

「カイル、もういい・・・」と言う私の意見は聞こうともしない。
仕方ないからカイルにしがみついていたけど、「リ・コスイレ」と挨拶をしている誰かにすれ違うたび、ここから消えたいという気持ちが増していく。

空港の時以上に目立ってしまったじゃないの!
これってカイル的なお仕置きですか?!

でも・・・誰かが話しかけてもカイルは無視して歩き続けてくれたことは、ある意味ありがたかった。




私の部屋の前では、ヒルダさんが待ってくれていた。

「あぁナギサ様ーっ!よくぞ御無事で!ワタクシ・・・ワタクシ、嬉しゅうございますうううぅ」とヒルダさんは言いながら、おいおい泣きだした。

「カイル様!申し訳ございませんでした!ワタクシのことは、煮るなり焼くなり、御好きになさってくださいまし」
「あぁの、これはヒルダさんのせいじゃないし!むしろ心配かけちゃってごめんなさい」

カイル、ヒルダさんのことをどうするつもりなんだろう。
まさか私のせいで、ヒルダさんをクビにする・・・?

私は「カイル・・・」と言いながら、カイルのシャツを握りしめた。

う。まだカイルに抱きかかえられたままだから、カイルの顔がものすごーく近すぎる!
でもヒルダさんのことも気になるし。


「案ずるな。ヒルダはいつもこの調子だ。それにヒルダを好きに“料理”する気もない。ヒルダ」
「はいっ!」
「食事はできているか」
「はいっ。チキンスープとサンドイッチを御用意しておりますっ」とヒルダさんは言いながら、部屋のドアを開けてくれた。

あ。いい匂い。
ってことは食事って・・・私の?

カイルは私を椅子に座らせると、「食べろ」と言った。

「無理して食べろとは言わんが、今日おまえは昼も食べずに逃げ出した。これくらいは食べておけ」
「・・・ありが、とう」

なんか・・・嬉しくて、胸がジィンときた。
カイルが私のことを心配してくれたと思ったからかな。
ついホロリと落ちた涙を、カイルが指で拭ってくれた。

そして私を安心させるように微笑むと、「じゃあな、テンバガール」と言って、部屋から出て行った。



私は食事をとった後、お風呂に入った。
その間ヒルダさんは私の部屋にずっといて、あれこれと私のお世話をしてくれた。
さすがにお風呂場までは来なかったけど!
最初は私がまた逃げ出すと警戒して、監視をしてるのかと思った。
その気持ちもあったのかもしれない。
でもそれ以上に、ヒルダさんは、私のことを心配しているように見えた。
そして純粋に私のお世話をしたいんだとも気がついた。

『突然異なる世界に来てしまわれて、戸惑う事もたくさんおありのはずなのに、明るく健気にふるまわれているナギサ様を見ておりますと、御世話をしたいなぁ、と思いたくなるのでございます。カイル様がナギサ様を御傍に置いておきたいと思われる御気持ちが、よぉく分かります、はい』

とヒルダさんは言っていたけど、自分がこの状況を受け入れているのかどうか、正直よく分からない。
成るようにしかならないから、この状況に流されてもいいと思っている。
でもできることなら逃げ出したいとも思う。
・・・って何から?

イシュタール王国から?
カイルから?

やっぱり・・・わかんない。













翌朝、ヒルダさんの案内で王宮の門前まで行くと、公用車と思われる豪華な車が停まっていた。
リ・コスイレ(国王様)の公用車よりも豪華じゃなくて良かったとホッとした矢先、護衛のトールセンがドアを開けてくれた。

「入れ」
「・・・はぃ」

昨日あんなことしちゃったから、今日の「お出かけ」はキャンセルになったと思っていた。
それに、あれからカイルは私の部屋に来なかったし。
・・・別に待ってたわけじゃないけど!
ベッドに寝てたけど、単に眠れなかったってだけで!
なんて頭の中ではゴチャゴチャ考えながら、私はカイルの命令に従って、豪華な公用車に乗った。




車が走り出した途端、カイルが私の顎を軽くつかんで自分の方に顔を向かせる。

「・・・おはよう、ございます」
「昨日はあまり眠っていないようだな」とカイルは言いながら、私の目の下を、親指の腹でそっと撫でた。

私の体が少し震えると、カイルは満足気にフッと笑った。

「俺が来るのを待っていたのか」
「ううん・・・・・うん」
「部屋にこもって公務をこなしていた」
「あ、そう・・・国王(リ)って、ちゃんとしたお休み取れないんじゃない?」
「そうだな。休みはあるが、常に連絡が取れる状態にしておかなければならない。幸い我が王国は平和だからな。緊急事態で呼び出されることは滅多にない」
「そう・・・ねえカイル」
「なんだ」
「今日はどこへ行くの?ヒルダさんからはイシュタール国内としか聞いてないんだけど」

まさか「公務」でこの私を連れて行くことはあり得ない!

「南だ」
「・・・もっと具体的に教えてくれませんか」

一応丁寧にお願いしてみると、カイルはクスッと笑った。
その笑顔を見た私の鳩尾が、一瞬ジンと熱くなる。
はぐらかされてもまぁいいかって、すぐ思い直してしまう私は、いたって単純なのかな。

「国王(リ)は重婚できると、おまえは知っているな?」
「うん」

話が急に飛んだような気が・・・。

「先代国王である俺の父には、3人の妻がいる。しかしエミリアの母であり、父の第三夫人であったガネーシャは、すでに亡くなっている」
「そうなんだ」
「俺には弟が一人、そして妹が二人いる。テオはすでに知っているな」
「うん」
「そしてエミリアの姿は見たらしいな」
「う・・はぃ」
「日本ではどうか知らんが、近親者同士の婚姻は、我が王国では法律で禁じている」
「日本もそうだよ!」
「それがなくても、俺は我が妹たちに対して欲情したことは一度もない。もちろん愛情は常に持っているつもりだ」
「あああぁ・・・すみませんです」
「だからナギサ」
「ふぁい・・」
「おまえが妬く必要はない。妹たちに対しても、他の女どもに対しても」とカイルは言うと、私にそっとキスをした。

あぁやっと・・・やっとカイルがキスしてくれた。
それはすぐ終わったけど、私は両目を閉じてキスの味を堪能した。

「エミリアはカーディフの新シークであるジグラスと結婚している」
「あ・・・・・・あぁそうなんだぁ!」
「もちろん、おなかの子の父親はジグラスだ。言うまでもないと思ったが、おまえには言わないと分からん時があるからな」

面白がるカイルの口調に少々ムッとしながら、私は「それはどうも」と答えた。

「もう一人の妹・ボニータは、海の向こうにあるビエナ国の大学へ通っている」
「じゃあ私と同い年くらい?」
「ボニータは21歳。俺たち4人の中では一番年下だ。今回あれはテスト時期と重なって、ここには来ていない」
「“ここ”って・・・」
「南にあるマローク家の別荘だ。今は父と俺の母、そしてテオとボニータの母が住んでいる」
「え!?」

そ、そんな・・・カイルの家族がいるところへ、私を連れて行くんですか!?