「これでおまえが本物のナギサだと分かった。ということは、おまえが自分の意志で王宮を抜け出し」
「う」
「一人で町へ行ったことも分かった」
「うぅ」
「ナギサ」
「ひ、ひゃいっ!」
「おまえはどこへ高飛びする予定だった」
「あーっと・・・ちょっとシナ国まで、はぃ・・」
「ほう。シナ国か」
「えぇぇぇ・・・」

・・・また怒りがぶり返してきた。
ナギサがますます怯えて萎縮してるのが分かるが・・・俯いているこれを、斜め上から睨まずにはいられん。

「いくら俺でも、シナ国の大学の入試の斡旋に口を出すことはできんが」
「あ・・・カイル。ご、ごめんなさい」
「大学へ行きたいと言ったのは嘘だったのか。この俺に嘘をつくとは。良い度胸をしていると認めるが、あいにく俺は、嘘をつかれることが好きではな・・・」
「嘘じゃない!」

途端に顔を上げて俺を見てそう言ったナギサは、確かに嘘をついていないと分かる。

「ではなぜ俺から逃げた!また俺に礼も言わず、何も言わず、おまえは俺の前から勝手に姿を消そうとした!」
「だ・・・って、あなたには他にもいるじゃない!」
「・・・何の話だ」

「他にもいる」?
・・・これの言いたいことが全然分からん。

「今朝女の人と腕組んで歩いてたでしょ。カイルはすごく嬉しそうに笑って、その美人さんのおなか触って・・・妊婦さんでしょ?私、見たんだから!」

ナギサが言う女で該当するのは、一人しかいない。

「エミリアのことか」と俺が言うと、ナギサは明らかにショックを受けたという顔をした。
そして見開いた目から涙を流して「エミリアさんって言うんだ」とつぶやいた。

「名前聞いちゃったら、余計現実味が増した・・・うっ、うううぅっ」
「おいナギサ。なぜ泣く・・・」
「エミリアさんが私の事知ってるのかどうか、知らないし、カイルはそれでも、平気なんだろうけど・・でも、赤ちゃん生まれるんだよ?それ抜きにしても、私・・・耐えられないよ!」
「・・・おまえが何を言いたいのか、全然分からん」と正直に俺が言うと、ナギサは俺に掴みかかるように上半身を俺の方へ寄せてきたおかげで、これの匂いを感じた。

ナギサの匂いは俺を惑わし、理性を狂わす。
そしてこれの匂いは、俺だけが感じることができる、特別なもの。

いや、俺以外の者が感じる必要などない。

泣きながら怒っているナギサにキスしたいという衝動を、かろうじて抑える。
これの怒り顔がとても・・・美しいと思う俺は、全くどうかしている。
よりによってこんな時に、この場で、これに欲情するとは・・・。

「私はあなたのことを全然知らない!あなたが結婚してるのかどうかも、私の他にその・・・つき合ってる人がいるのかも知らない。でも・・・あのとき見たあなたたちは、とても好き合ってるように見えた。美男美女のお似合いカップルだとも思う。赤ちゃんも生まれるなら、今のうちに私がいなくなるべきだと思う・・・」

これは・・・・・・まさかナギサはエミリアに妬いているのか?

「私はあなたを満足させることもできない、よその世界から来た厄介者で役立たずでしかない・・・カイル?」

ナギサに対する怒りは綺麗に消えた。
跡形もなく、呆気なく。
これを懲らしめるべしとか、いたぶってやるという気持ちも、今は全くない。

代わりに俺は、しばしの間、笑っていた。


怪訝な顔をしながら、「カイル?」と気遣わし気な声で俺の名を呼ぶナギサは、俺の気が触れたとでも思っているのか。
俺は笑うのを止めると、ナギサをひたと見据えた。

ナギサの愚行は許してやる。
そしてこれの勘違いを正してやろう。今すぐに。

「エミリアは俺の妹だ」と俺は言うと、ソファから立ち上がった。

「・・・・・・へ。え?あの、ちょっとカイル?!」
「話はひとまず終わりだ。帰るぞ」

俺はドアノブを握ると、後ろをふり向いた。
ナギサはまだソファに座ったままだ。

「立て」
「あ・・はいっ」とナギサは言いながら慌てて立ち上がったが、まだ俺がいるドアの方へは歩いてこない。

くそっ、テンバガールめ。なぜ迷う!

「俺と一緒に来るのか、それとも来ないのか」
「う・・・・・」

ようやく決心がついたのか。
ナギサは数秒俯くと、顔を上げた。
そして一歩一歩こちらへ歩いてくると、俺の前で止まった。

俺たちはしばしの間、お互いを見つめ合った。

・・・これに触れたいという衝動に抗ったのは、ほんの僅か。
抑えることができん。

俺は涙に濡れたナギサの頬に、そっと触れた。

「ここに長居をし過ぎた。局長も俺と話をしたがっている。何の話か予想はつくが」と俺は言うと、ドアを開けた。

外には俺の護衛二人の他、部屋から追い出した局長に加えて、副局長と官房クラスの職員が4・5名いた。

「リ・コスイレ。バンリオナ。先程は大変失礼致しました」

何事が起ったのかまだ把握できていないこ奴らは、明らかに狼狽したままだが、長年染みついた習慣と礼儀は忘れていない。

その点は褒めてやろうという意味でも、そろそろこ奴らの気を楽にさせてやるか。

「頭を上げよ」
「はっ」
「あのぅ。バンリオナって、私のこと・・・」
「まだだが、そのうちそうなるだろうな」
「然様でございましたか!それはそれは。迂闊に口を滑らせてしまい、申し訳ございません!」
「構わんが、これのことはナギサ様と呼べ」
「かしこまりました、リ・コスイレ。それでそのう・・・ナギサ様のシナ国行きは・・・」
「行くのか、行かないのか」

小柄なナギサを圧するように斜め上から睨み見ると、これはますます体を縮こまらせてしまった。
できればこの場で置物になりたがっている様子だが、そうはさせるか!

・・・いや、これの返答次第では、俺が置物にしてやっても良い。

そんな下らんことを考えたせいか。
「・・・行かない、です」というナギサの返答を聞いた俺は、息を細く吐き出したことで、無意識に息を止めていたことに気がついた。

ナギサは俺について来る。
俺と一緒に王宮へ帰る。
そう分かりきっていたはずなのに、これの返答を聞くまで俺は・・・柄にもなく緊張していた。

やはり部屋を出る前にキスをしておけば良かったか。
くそっ・・これには俺の女だという自覚が足りなさ過ぎる!

俺がナギサの手を掴んだのと同時に、「然様でございますか!」と局長がわめいた。

無理矢理明るい声を出して、この場を盛り上げようとする努力は認めるが、それで俺の苛立ちが収まることはない上に、空気が白け始めている。
故に無駄なことに労力を費やすなと、この俺に言わせたいのか。
全く、相変わらず局長は空気が読めんという点は、我が弟にそっくりだ。

俺は局長にそう言う代わりに、「飛行機を待たせているんだろう?ゴーサインを出してやれ」と、現場を取り仕切る官房に言った。

「はっ!承知致しましたっ!」と官房は答えると、俺とナギサに一礼をし、速やかに走りながらフォンで指示を出した。

「それではナギサ様が御購入をされたチケットを、払い戻させていただきます」
「いえっ!!これ、ラストミニットで買ったから、払い戻し不可だし!それがなくても、皆さんには多大なご迷惑をかけたので・・・」
「ほう。その自覚はあるようだな」
「えぇ一応・・ははっ」と笑うナギサの声は、完全に渇いていた。

「これの気紛れにつき合わせて悪かったな。大変良い仕事ぶりだった。ナギサ、行くぞ」
「うわっ!」

俺はナギサの手を掴んだまま、速足で歩き始めたが、数歩で立ち止まった。
その勢いで、ナギサの顔が俺の腕にぶつかる。

「ナギサ」
「ぎゃ!いたた・・ふぁい」
「町で引き出した金はバッグの中か」
「うん・・・ってちょっと!」
「ウィン」

俺はナギサからバッグを奪うと、後ろを控え歩くウィンに放った。

「残りの金を全て職員へ平等に渡せ。俺とナギサからの臨時ボーナスだ」
「かしこまりました、リ・コスイレ」
「あのーっ!バッグの中にはIDとパスポートとクレジットカードが入ってるから、なくさないで!それからバッグは後で返してくださーい!」とウィンに言うナギサの手を引っ張りながら、俺はまた歩き出した。