その日の夕方。
私は部屋にある一人掛けのソファに包まるように座って、本を読んでいた。
最初にいた部屋同様、今の部屋にも壁一面に本棚があって、そこには多彩なジャンルのたくさんの本が、行儀よく並べられている。
今私が読んでいるのは、子ども向けに書かれたと思われる万物創生の本。
ジェイドさんが言ってたように、伝説的なお話だから、童話とか昔話みたいに、幼い子どもが読んでも分かるように書かれているのは正直ありがたい。
と思っていたとき、ドアが開いた。

ノックもせず、何も言わずに自分の部屋みたいにここへズカズカ入って来る人は、私以外に一人しかいない。

私は本をテーブルの上に置くと、背が高くてイケメンなカイルの姿を仰ぎ見た。

昨夜は私、この人に抱かれたんだ・・・。
不意にカイルの逞しくてかたい体の感触を思い出した私の顔が、ボッと赤らむ。
でもカイルから目をそらすことができなくて、いつものようにカイルに見惚れてしまっていた。

カイルは私のすぐそばまで来ると、上体を屈めて手を伸ばした。
髪をゆるくなでられて、思わず私の体がビクンと、そして心臓がドキンと跳ね上がる。

そんな私をなだめるように、カイルは私の唇に触れる程度の軽いキスをすると、私の隣にドッカリと腰かけた。

この余裕・・・それに経験の差!
悔しいというより、恥ずかしい。
昨夜の出来事の後だから余計に・・・うぅ。

「紫龍神の本を読んでいたのか」
「あ・・うん」

万物創生の本には、5つの龍をはじめ、イシュタール王国を創ったと言われている紫龍神のことも書いてあった。

「カイルが持ってる剣は、紫龍剣って言うんでしょ?」
「ジェイドから聞いたのか」
「うん」

私がジェイドさんとガールズトークしてたって報告は、カイルに行ってたか。
当然だよね。

「この剣には紫龍神の魂が宿っていると言われている」
「へ?じゃあそれ・・・生きてるの!?」
「さあな」と言うカイルの顔はニヤニヤしてるから、どこまでが本当なのか分からない。

「紫龍剣は国王(リ)を主とし、主の身を護る。主から見て敵とみなした万物全てを斬り、消し去ることができる」
「・・・どこまでホントなの」
「全てだ」とカイルは言うと、こともあろうか、私の目の前に紫龍剣を差し出した。

「ちょ、ちょっと!!」
「今日は特別サービスだ。おまえにこれを持たせてやる」
「ぅ・・・・・・」

「持たせてやる」って・・・「持ちたい!」って言った覚えはないんですけど!
ってことはつまり・・・「これを持て」って命令(こと)よね・・・。
仕方ない。
私は鞘に収まったままの紫龍剣を、両手で持った。

「うわ!ちょっとこれ、見た目どおりめちゃくちゃ重たい!」

それとも私が非力すぎなのかな。
とてもじゃないけど私の力じゃ両手使わないと持てない。
と思っていた矢先、なぜか剣が軽くなった。

・・・・・・あれ?私、片手で剣を持ててるよ?

怪訝な顔でカイルを見たら、とても驚いた顔をしている。
重過ぎて持てない剣を落としそうになるところを、この人が受け止める、みたいなお約束をイメージしてたのかな。
いやぁ、それは私もイメージしてたんですけど!

カイルは驚いた顔をニヤッとさせると、「なるほど」とつぶやいた。

私は「なにが」と言いながら、カイルに剣を返した。
カイルはそれを腰につけながら、ニヤニヤ笑っているだけだ。

ってことは、「ノーコメント」ってことね。
と思っていたけど、「そのうち分かるだろう」とカイルは言った。

どっちにしても、はぐらかされたことに変わりはない。
ま、いいか。

私は気を取り直すように、フゥと息を吐いた。

「おまえの服だが」
「え」
「ブラウスは処分させた。俺が破ってしまったからな」
「あ・・ああぁ」

ベッドの周囲に散らばってたと思われるおめかし服は、今朝ヒルダさんがシーツと一緒にさりげなく持って行ってくれていた。

あのとき確か、ブラウスのボタンがはじけ飛んでたよね。
また昨夜のことを思い出した私の視線が、泳ぎ気味になる。

「いや別に気にしてないから!それにカイルからはいつも服をもらってるし。市場で買った服とか靴とか、とにかく全部」

そう。
町へ出かけたときは、いつもテオが支払ってくれていたけど、そのお金の出どころはカイルだと、ジェイドさんが教えてくれた。

『弟とはいえ、自分の女が買うものを他の男に支払わせることが気に入らないのよ。そして自分の女が他の男と出かけるってこともね』
『ええっ!でもあれはカイルが提案してきたことだし。何よりテオと私の間は、そういうんじゃないし!』
『分かってるわよ。たまたまテオが興味を持った対象に、あなたが関わってたってことも』

あぁもうカイルって・・・単純なようで、時々ひねくれてる。
とにかく、この事実を知ったからには、お礼を言っておこう。

「ありがとう(ゴライブ)」
「気にするな。ところで、カードは作ってもらえたか」
「あぁそうだった!うん。パスポートとIDとクレジットカードの3つ。ありがとう」
「今後は俺に言わずにいつでも町へ出て良い」
「ホント!?」
「但しヒルダを連れて行くことは必須。そして今後テオを同行させることは禁ずる」
「・・・は。なんで」
「あれはジェイドと結婚するからだ」
「わぁ!そうなんだ!」
「だからジェイドをはじめ、王宮の者たちに余計な誤解を招くようなことをするな」
「あ・・・・はい」
「テオに会うなとは言わんが、二人きりで会うことは控えろ」
「はい、分かりました」
「今日はやけに聞き分けが良いな」

とカイルは言いながら、私に手を伸ばして髪に触れた。
その手は下がって、今度は指の背で、私の頬を軽くなでる。

「カイルが言いたいこと、わかる・・から」

やだ。
カイルに触れられた頬の部分が熱くなる。
それに声が震えてしまう。

そんな私をカイルは満足気な微笑み顔で見ると、「金はヒルダに渡しておく」と言った。

「え・・なに・・」
「市場ではカード払いができんからな」
「あ・・・ああぁ、確かにそうだよね、うん」
「町の店でもカードでの支払いは控えておけ」
「じゃあどうすればいいの?」
「町の機械で金を引き出して、その金で支払いをすれば良い」
「なるほど。うん、分かった」
「いくら使っても構わんが、大きな買い物をするときは、買う前に俺に言え」
「いやそんな!私、そんなにお金使うことないから大丈夫ですっ!」
「そうか。ナギサ」
「はい・・・」
「他に願いはあるか」とカイルに聞かれた私は、思わずカイルの顔を見た。

「願い・・・あの・・・大学。大学に行きたい」

元いた世界に未練がないわけじゃない。
でも今はまだ、元いた世界へ帰れる可能性があるってだけで、術が分からない。
だったら今は、私が今いるこの世界のこと、イシュタール王国のことをもっと知っておきたい。

「人は知識を学び、知恵を働かせることで賢くなる。ゆえに我が王国では、教育を重要視している。おまえは確か、日本では大学へ通っていたな」
「うん。テオから聞いたけど、日本とイシュタールの学校のシステムは同じみたい」
「そうか。しかしおまえを特別扱いして、俺の一存だけで大学へ入学させることはできん。おまえも他の者同様、試験を受けろ。合格すれば大学へ通っても良い」
「・・・うんっ!ありがとうカイル!あ、でも学費どうしよう。入試の費用だって・・・」
「俺が出す」
「じゃあ・・・ありがとう。めでたく大学に入ることができたら、バイトしてお金返すから」
「・・・・・・・・何?」
「私ね、通訳をボランティアで少々と、ファミレスのウェイトレスと、そこのレストランに併設されてるパン屋さんに時々ヘルプ入った経験しかないんだけど、パンを袋に入れたり、お皿持ったりパフェ作ったりするの上手ってほめられたこともあるよ!ねえカイル、王宮(ここ)から大学って遠いからさー、大学の近くにアパート借りたほうがいいかな。それとも大学寮ってあるってなななっ!何っカイルッ!?」

未来のビジョンにウキウキしながらおしゃべりしていた私を遮るように、突然カイルにガバッと抱きしめられた。

「おまえは・・・俺の女だという自覚をもっと持て!!!」
「ぎゃっ!カイル、耳元で叫ばないでよ」
「ほう。俺が言ったことが聞こえたのか」
「当たり前でしょ!」
「ならば次は理解しろ!」

お互い睨み合ってる最中、トントンというノック音が鳴り響いた。

「リ・コスイレ。お時間でございます」という護衛のトールセンの声が聞こえてくると、私を睨んでいたカイルは、いたってフツーに「もうそんな時間か」とつぶやいた。

さすが国王(リ)。切り替え早っ!

立ち上がったカイルにつられて私も立ち上がると、「出かけるの?」と分かりきったことを聞いた。

「ああ。今夜はこのことを言いに来ただけだ」
「そう」

良かったような、寂しいような・・・いつもと同じ。
ううん、いつも以上に寂しいって思ってる気がする。

「明後日は出かける」
「はい」

どこ行くんだろう。
外国の訪問かな。

「おまえも一緒だ」
「え?公務じゃないの?」
「違う。おまえに会わせたい人がいる」
「あ・・・そう」
「たぶんそこで1泊するだろう。荷物はヒルダに準備させておく」
「分かった」
「じゃあな、テンバガール」

不意にカイルが私との距離を縮めてキスをした。
すぐに離れたカイルの唇を、私は無意識に追いかけていた。
カイルはフッと笑うと、少しだけそれに応えてくれた。

「これ以上煽るな、ナギサ」
「ん・・・ごめ・・」

慌てて離れた私をカイルは支えながら「Good night Nagisa」と言うと、私の二の腕をスッと撫でて、部屋から出て行った。