「や、やあ、ジェイド」と言いながら、あいつは私に右手を上げた。

王宮で偶然会っても、森で見つけられても、いつもどおりの挨拶をしたけど、焦った口調は隠せていない。

私は、あいつを少し斜め上に見上げながら、腕を組んだ。

「こんなところで会うなんて。奇遇だね」
「白々しい。どこへ行く気」

いつの間にか、あいつから焦りは消えて、またいつもどおりの「のん気」な雰囲気をまとっている。
でもその「のん気」は、こいつの「武器」だと私は知っている。
何てったって、こいつはイシュタール王国の王子(プリンス)で、方法は違えど、現国王(カイル)とある程度対等に世を渡り歩いてきたことを、私は知ってるんだから。

それを証拠に、こいつは私の質問に対して、「僕の仮説が正しければ、ナギサがいた世界へ」と、ニッコリしながら答えやがった。
まるで「ちょっとそこまで買い物に行ってくる」みたいな言い方で!

「そういうわけだから、ジェイド。手に持ってるそれ、僕にちょうだい」

言い終わらないうちに、私の方へ手を伸ばしてきた。
すかさず私はスッと避けて、そのブツを持ってる右手に力を込める。

「誰があんたに渡すもんか!」と私は言いながら、握りしめた左手で、王子の腹に素早くパンチをお見舞いする。

でもその試みは失敗。
テオドールはあっけなく私の左手首を掴んで阻止した。

やっぱり。
王子相手にこの程度のレベルじゃ、ダメージ与えることはできないか。

テオドールはすかさず私の右手も掴みにかかる。
その前に私は、手に持っていたブツを、ズボンのヒップ部分についてるポケットへ入れた。
そのすぐ後に、右手も掴まれてしまったけど、こいつも両手の自由が効かない。
これで今のところはおあいこだ。

テオドールが、掴んでいる私の両手首を自分の方へ引っ張った。
嫌でもこいつとの距離が縮まる。

こいつに手首を掴まれてることや、こいつとの距離が近すぎることを意識しすぎてしまう自分が情けない。
それに、間近でハンサムなテオドールの顔を見ると、心臓の鼓動がいつも以上に早くなってしまう。
顔、赤くなってないといいんだけど。

テオドールはそんな風に思ったこと、一度もないのに。
私一人で勝手にドキドキして・・・ナギサが言うところの「バカ」みたい。

「・・・い」
「何?ジェイド。聞こえない・・・」
「もうやってらんないって言ったのよっ!」

泣きそうになったから、怒って叫んでごまかす。
強がりな私の、いつものパターン。

「ジェイド?」
「あんたはいっつもそうやって我が道を行ってばかり!」
「は?」

もう。
なんでこんなやつのこと、ずーっと好きなんだろう・・・。

私はあきらめの溜息をひとつついた。

「じゃ、行きましょうか」
「・・・どこに」
「あんたが異世界へ行くって言ったんでしょ!」
「ちょ、ちょっと待て。行けるかどうかも分からない上に、危険だと分かってるところへジェイドを連れて行くわけにはいかない。だから行くのは僕一人だ・・・」
「だから待つのはもうこりごりなの!危険でもなんでも、あんたが行くところへ私はついて行く!」
「ジェイド・・・」
「どこでも好きなところへ行きなさいよ!でも私も行くんだから。言っとくけど、あんたに守ってもらおうなんて考えてないわよ」
「じゃあなんでついて行くって言うんだよ。ジェイドの分からず屋」
「な・・・分からず屋なのはあんたのほうでしょ!」

あぁもう頭に来たーっ!!
でもそれ以上にもう・・・嫌だ。

「・・・てよ」
「ジェイド」
「私を連れて行ってよ。お願い。あんたのことは私が守る。だから私を・・・置いて行かないで」

ここでちゃんと言わないと、こいつと一生離れ離れになってしまうかもしれない。
そんなの嫌だ!
せめて死ぬ前に、テオドールには私の気持ちを知ってほしい。
全部じゃなくていいから、せめて、テオドールと離れたくないってことくらいは知ってほしい。


だから今は、ヘンなプライドの仮面をかぶってる場合じゃない。
泣いてもいい。すがってもいい。

心から愛するテオドール王子のことは、私が守り抜く。
命をかけて。一生をかけて。

・・・でもしまった。
こいつに両手首掴まれてるから、涙を拭くことができない!
と思ったら、テオドールが私に顔を近づけて、涙を舌で拭い取ってくれた。

「・・・・・・なに・・え」

呆然としてしまった私の顔は、絶対間抜けなはずだけど、それを取り繕わないと、なんて考える余裕もなかった。

や、やられた・・・こいつに!

「僕、ジェイドに嫌われてるって思ってた」
「・・・は、な、何言って・・・」

テオドールの額が私の額にコツンと当てられたままで会話始めるもんだから、もう間近以上に近すぎて、私の心臓が暴れて飛び出しそうだ!
でもまだこいつに両手首を掴まれたままだし、私以上に鍛えてる王子に握力で適うわけもなく・・・結局私は動けないまま。

それより私は動きたくないのかもしれない。
近すぎてどうしようとか思いつつ、こいつ見たさに目線合わせてるし。

「君はずっとカイルと仲が良いし。二人並んで楽しそうにしゃべってるところを見ると、僕は入っちゃいけない、二人はお似合いだからって、ずっと思ってた」
「わ、私が好きなのは、あんただけよ!」

ああいけない!
こんな近くにいるのに、照れ隠しに叫んでしまった・・・。

引かれる。絶対テオドールは引く。

と思った私の予想は大外れ。
テオドールは引くどころか、そのまま額を私に当てたまま、ニッコリ笑った。

「僕も。ジェイドのことが好きだ」
「う・・・テオドール・・・うぅ」

あぁ・・・こいつにまた先手越された!

せっかく泣き止んだのに、また涙が出てきて止まらない。
私の泣き顔ヘンだから、こいつには見られたくないのに。

「じゃあいい加減僕のこと、テオって呼んでよ」
「う・・・ん・・・」
「好きだよ、ジェイド」

ばか・・・。

「私も」
「グラ・ドゥ、ジェイド」

私は驚きで目を見開いた。
そして嬉しくて、ワンワン泣いた。
そんな私を、テオは優しく、そしてやっと抱きしめてくれた。



私が落ち着いた頃、「じゃあ帰ろうか」とテオが言い出した。

「・・・行かないの?」
「行かなくていい。ジェイドがそばにいるから」

はっ!?
こいつって、こんなにロマンチストだったっけ。
なんか・・・照れる・・・。

赤くなった顔をうつむけて私が頷くと、テオが手をつないできた。

嘘みたい。
こんな・・・こんなこと、テオにされたこと・・・初めてかも。

そんな私の心を読んだかのように、「今まで君はカイルのものだと思っていたけど、そうじゃないと分かったし。だからもう遠慮しないよ」とサラッと言ってのけた。

「そ・・・」

うつむていた私が、思わずテオの顔を見ると、また顔が近づいてきて・・・キスされた。
唇に、唇で。

「お・・」
「君は・・・僕の・・・もの。そして僕は・・・君のものだ・・・」
「ん・・・テオ・・・テオ・・・グラ・ドゥ・・・」

私たちは、キスする合間にそれぞれの思いを伝え合い、キス自体にもありったけの思いを込めた。
そしてようやく、でも名残惜しくキスをやめたとき、二人とも息切れしていたけど、ニッコリと微笑んでいた。

「そういうわけだからジェイド、結婚しようか」
「え・・・・・・ええええっ!?」
「なんでそんなに驚くんだよ。僕は子どもの頃からずっとジェイドのことが好きだった。それに僕たち愛し合ってるんだよ。なんか異議でもあるのか?」
「いや、えっと・・・ない、です」

今までのパターンが逆転した気がする。
でも・・・これもまた、好きかも。

グラ・ドゥ、テオ。