……今の私は本当の私ではない。
いつも、そんな気がしていた。人当たり良く見せたくて、いつも笑顔でいて 、不平や不満も言わず、何があっても大丈夫って顔して…。
何かが違う。本当にしたい事はこんな事じゃない。
本当はもっと違う場所で、自分が輝いていられるんじゃないかと、そんな気がしてならない。
もっと違う目線で、もっと真剣に、まっすぐに生きていける方法があるんじゃないかと思う。
勇気を出して、踏み出せばいいのに…。
新しい世界へのドアは、すぐ目の前にあるのに…。
こんなにもがき苦しんで、重苦しい石を胸にいっぱい溜め込んで、呼吸すらも上手く出来ないでいるのに…。
本当は悲しくて、涙がとめどなく溢れるのに……。
なのに、何故、踏み出さないの…? いつまでここに、留まっているの?
いつ、歩き始めるの………
本当の自分に出逢う長い道のりを。
迷って、悩んで、どうしたらドアが開くの…?
カギは一体、何処にあるの?………


「懐かしいなぁ、ここのフレーズ。大好きだったんだよね…」
久しぶりに本を開いて読んでみた。何年経っても、思い入れの強い作品には違いない。フゥ…と思わず、深い溜め息が出た。

「そうだ!こんな事してる場合じゃなかった!」
ハッとして、慌てて立ち上がった。今日は、三浦さんと会う約束をしていた。
あの夜、彼はとりあえず三日程締め切りを伸ばしてくれた。
今の私の気持ちを、正直に書いてくれればそれで大丈夫だからと言って。
だから気負わず書いた。
自分にはレンアイがよくわからない事、取材して思った事や考えた事、思いつくままに、いつものように…。
あの日感じた胸の高鳴りが、恋なのか、ただ単純に男性と初めて付き合うことへの舞い上がりなのか判らなくて、エッセイの最後をこう締め括った。


「読者のみなさん、恋が始まるって、どんな感じですか…?」

こんな事聞くエッセイストって、きっと私くらい。でも、何も知らないからこそ聞いてみたい。恋の始まりって、どんなのか。


「本当にいいのかな…こんなので。三浦さん、呆れるんじゃないかな…」
封筒に原稿を入れ、出かける準備をする。今までは、編集者として彼に会っていたけど、今日からは一応彼でもあるし…

「困った…。どういう格好で行けばいいんだろう?」
今更のように悩むなんて 、私ってどれだけ遅れてる? 出かける時間も迫ってくると、焦ってますますわからなくなってくる。

「あーもういいや!いつも通りで!」
Tシャツと柄パン。丈長のカーディガン羽織って鏡の前に立つ。

「彼氏に会いに行くような格好じゃないよね…」
我ながらガッカリ。せめて髪だけでもきちんとまとめよう。
とは言っても、クリップで留めるだけ。テンションは下がる一方だけど、気持ちだけは今までとは少し違う。

仕事相手だった時は、帰りに何しようかな…位しか考えなかったけど、今日は三浦さんに会える事が何だかとても嬉しくて、新鮮で仕方ない。
家のドアを開けるのが、こんなに楽しく感じるのも、きっと初めて。
開けた瞬間、何が自分を待っているんだろうって、まるであの小説の主人公みたいにワクワクしてる。

(眩い光が、私を包んでくれかな…)

さっきの本を思い描きながら外へ出て行く。
今日から私の、新しい一ページが始まるんだ。


………ドアを開けた瞬間の眩い光のシャワーを、多分私は一生忘れない。
あの日から、新しい本当の自分が始まったのだから………