僕を止めてください 【小説】

「清水センセ、なにも変じゃないですよ。寺岡さん、ふざけてないで話を進めましょう」
「ああ、ゴメンゴメン! 変装してるのかと思ってさ。ちゃんとした近眼だった。女の子からキャーキャー言われないようなデザインにしてるんですか?」
「そういうつもりはないですが」
「寝癖のままなのも?」
「あ、寝癖ついてますか? 裕くん、僕っていつも寝癖ついてる?」
「気が付きませんでした。スミマセン」
「裕に聞いたって永遠にわからないよ。イケメンだってことすら一言も言わないんだもん」

 悪ふざけが止まらないので僕は寺岡さんを牽制した。

「いつまで見た目の話を?」
「だって磨けばモデルくらいにはなれるよ、この先生は」
「寺岡さんの趣味の話はおいといて下さい」

 すると清水センセは今日初めてほんの少し口角を上げながら寺岡さんに言った。

「僕にはそれは必要ないです。裕くんさえ居てくれたらいいので。裕くんは見た目のことは一切興味ないし」
「そりゃそうだ。見た目どころか生きてるもんには一切興味ないからねぇ。それをわかってても?」
「ええ、裕くんがいれば幸せです」
「セックスしたくならないの?」

 見た目の話からいきなり際どい話題に急降下した。追い打ちをかけた寺岡さんはうっすら笑っている。清水センセは寺岡さんの隣りに座っている僕の顔をちらっと見た。あの話ししてないんだ、的なサインなんだろう。しちゃったけど。

「性欲は無いです」
「そうなんだ。珍しいね」
「幼少期にトラウマがあって……母に……その……虐待されて」
「センセ、言いたくなければ言わなくて良いですから」

 言いよどんでいる彼の顔に一瞬、苦悶の色が走るのを見て僕は水を差したが、清水センセは僕に手の平を向けて制した。初対面の寺岡さんにあれを言えるのか? 言えたら言えたで、そこまでこの短期間で何かが起きたということだ。それが良い変化なのか良くない変化なのかはまだ分からない。

「虐待っていうのは……性的な虐待です」
「ああ……それは大変だったね。私なんかにカミングアウトして大丈夫なんですか?」
「怖いですが、どこかで“聞いてほしい”と言う気もします。裕くんに全部告白してから、なんだか風通しが良いと言うか……今まで誰にも言ったことが無かったのですが、裕くんにだけは言えて。自分がこんなふうに思ったり感じてたりしたんだって、言って初めて解ったりもしましたし」
「うんうん、そういうことってあるよね。裕は職業ヒーラーだから、なんかタイミングが合うと人生の桎梏から解放されるんだ」
「そうなんです! 天使なんです! わかってくださいますよね?」
「わかるよー! わかってるねぇ! 本人だけが全く分かってないけどねぇ!」
「ほんと、どうしたら理解してくれるのか、ずーっと困ってまして…」

 悪魔が天使とか呼ばれているのが悪い冗談以上に人生の皮肉であると思ったが、悪魔のほうからしたら大成功だろう。二人は意味不明な共感が起きているらしく盛り上がっている。清水センセが打ち解けてきたので結果オーライではある。
 虐待のエピソードが再開されると、さすがに細かい描写は避けていたが、かいつまんだところで十分グロいあの話を僕は成り行きで二度目も聞くことになり、清水センセの壊れた部分を再認識しながら不快でいたたまれない気持ちになった。