僕を止めてください 【小説】



「じゃ、また朝抜きでいい?」
「構いませんよ」
「コーヒーくらい飲む?」
「あぁ、飲みます」

 彼はキッチンに移動しケトルを火に掛け、僕に見てるように言った。そして、薪ストーブを起こしてくるとリビングに向かった。少しするとケトルの湯が沸き、僕は火を止めた。水切りカゴの中にいつの間にか昨日のマグカップが乾いていた。清水センセが洗ったんだろう。乾いてるところを見ると深夜にトイレに行ったときにでも洗ったに違いない。
 そのマグカップを2個並べ、コンロの横にあったインスタントコーヒーの瓶から粉を適当に入れ湯を差し、僕のコーヒーだけ水で埋めた。味は保証しないが、濃すぎることはないだろう。気に入らなければ足してもらえばいい。自分が人の家でそんなことをするとは思っていなかったが、そんなことで清水センセの気が紛れると良い。昨日の幸村さんみたいにウェイターみたいな真似は出来ないが。マグカップを両手に持ってキッチンを出ると、火を熾し終わって火かき棒をホルダーに掛けている清水センセの背中に呼び掛けた。

「勝手にコーヒー淹れました」
「え? 淹れてくれたの?」

 彼はびっくりしたように振り向いた。びっくりしたせいでようやく僕と目が合った。

「薄かったら粉足して下さい」
「わかった……ありがとう」

 清水センセはソファのいつもの居場所に座った。その前にマグカップを置く。そのカップを清水センセは両手で大事そうに包み込んだ。

「裕くんが淹れてくれたコーヒーが飲めるなんて」
「職場でもたまにやってますから」
「僕は初めてだよ」
「勝手にすみません」
「ううん……嬉しい」
「ああ、まだ熱いです」
「そう? 僕はそれほど猫舌じゃないから」

 彼はフーフーしながらズズッとコーヒーをすすった。硬かった表情が少し解けて口角が微かに上がった。

「これくらいで良いよ。美味しい美味しい」
「そうですか。それなら良かったです」
「ほんとにコーヒーだけで良いの? 2食飛ばしてるけど」

 今度は自分から目を合わせて僕にもう一度念を押した。

「ええ。食事は義務ですから。味もよくわかんないですし」
「ああ、そうだった。そうなるよね。そういえば最近じゃ敢えて飢餓になるのが長寿の秘訣とかでさ、オートファジーとか言ったっけ」
「あぁ、ありましたね。個人的に長寿はどうかと思いますが」
「裕くん、長生きしちゃうかも」
「生きてるストレスで相殺です」
「まぁ……確かに」
「いや、相殺かどうかは死ぬまでわかりませんね」

 そうだね、と言いながら清水センセはハハッと笑った。口数も増え、機嫌が良くなったようなのでちょっと安心した。勝手にコーヒーを淹れて良かったと思った。緊張の解けた清水センセは、ようやく普段通りに近い雰囲気で話し始めた。