9時間分の長い放尿を終え、キッチンで水を補給し、少しだけ居間のソファに独りで腰掛けてみた。暗いリビングで他人の家のソファにもたれていると、自分が再び自宅を離れてまたしても他人と添い寝していることの違和感に、もともと薄い現実感がついに崩壊しそうになる。内側も外側も過剰な変化の連続で大混乱だというのに。それにしても、二日連チャンで違う人と添い寝してるってどういうことだ……。昨日の今日であっちにもこっちにも良い顔をして。では、イヤなら断ればいいだけの話だ。昨日はそれを断れなかったし、今日は自分からここに来た。それはどちらも良い顔をしたいからだけでもない。顔を覗かせる後ろめたさを自分の中でどうにかねじ伏せた。
 唐突に風が窓ガラスに当たりドッと鈍い音を立てる。不意に、今も幸村さんはこの家を見張っているのかどうかという件を思い出した。カーテンを閉めてないのだから、あの窓のむこうのどこかににあの人が隠れて立っているという可能性も大いにある。どうせ清水センセは僕が来ることも幸村さんに連絡済みなんだろうし。
 ソファから立ち上がり、窓に両手をついて庭を見回した。そこにいるのなら雪明かりで僕が見えてるはずだ。僕は幸村さんがそこらへんに居るという体で、窓のこちら側から小さく手を振ってみた。居なかったらただのバカだろう。相変わらず庭はシーンとしたままで、雪の落ちる音さえしない。人の気配は無い。当然のごとく誰も居ないのかも知れない。見張っているのかいないのか。幸村さんは心配じゃないのか? 今だったら落ち着いて殺してもらえる。そんな時間を幸村さんは許容しているのか? それはどんな心境の変化なんだろう。それとも、さすがに盆と正月くらいは休ませろ、ということなのか。今頃親戚のおじさんたちと飲んだくれているのかも知れない。僕が清水センセに殺してもらえる最大のチャンスが来ている。

 でも、あんな疲れ切って眠りこけている人にそんなことさせられない。いや、疲れていなかったとしても。

 再び、彼のその奇跡の殺意を思い出すと、再び僕は感謝の奔流に飲み込まれていた。この感情の前では後ろめたさなどねじ伏せるまでもなかった。あなたの為ならなんでも出来るとすら思えている自分に驚き呆れる。自分じゃないみたいだ。少なくとも今日の昼までの自分ではない。良い顔をしたいなどという次元の話でもない。期待させることになるなんてわかって来ているのだ。ならば全ての期待に応え続けたら良い。いや待て。僕は何を考えているんだ?