それもそのはずだった。自分の人生に人を巻き込まないためにいつもいつも僕は緊張していたに違いない。それは、あの日、寺岡さんの家で誰も傷つけないようにひっそりと扉を閉じてから、ずっとその扉を抑え込んでいたのだろうから。母の死の胎の中に戻ることを希求して。しかも全く戻れていないのに。

 しばらく呆然とホテルの天井を眺めていたが、尿意の限界を迎えた頃、やっとの思いでベッドから転がり落ちた。その頃には混乱した精神はなんとか回復に向かっていた。辿り着いた広いトイレには幸村さんの姿は無かった。トイレの隣にあるバスルームからシャワーの音が聞こえてくるので、そこに居るとわかった。どんな様子か気になった。自分の矜持も信念も職業の倫理もかなぐり捨てて、僕を救おうとしてくれたこの人を、僕はどうすれば幸せに出来るのか、ほんとうにそれがわからなくて苦しい。
 膀胱を空にしてトイレを出て、バスルームのドアを開ける。シャワーの音は消えていた。濛々と充満する湯気の中に、湯船に浸かっている幸村さんの姿が見えた。すぐに戸口の僕に気がついたようだった。機嫌の良い顔でニッと笑った。それを見て少し安心した。

「おはよう」
「おはようございます」
「まだ9時前だろ。よく起きれたな」
「尿意に負けました」
「起こされたんだな」
「また寝ます」

 それを聞くと幸村さんはハハッと笑った。

「なぁんもしなかっただろ?」
「まぁ、はい」
「寝る前に岡本も入れよ。せっかく温泉付きのラブホ来たんだから」
「昨日入ったので良いです。ご存知の通り、温泉を気持ち良いという感性がないので」
「あ、そっか。それで昨日は岡本に合わせてぬるくしたんだっけ。じゃ、ダメだな。今、この風呂はメチャクチャ熱い」
「それは死にますね。それでこんな湯気が立ってるんですね。ではごゆっくり」
「おう、もう抜いたから温まったら出るわ。お陰さまでもう今朝は息子がビンビンでまぁ元……」
「あ、え……どうぞご自由に」

 全部を聞く前に僕はそっとバスルームのドアを閉じた。おい、コラ! 最後まで聞けぇ! と叫ぶ声が遠くなった。当然ながらセックスはしたいんだろう。でも同情してはいけない。申し訳ないが自制心の塊を全うしてもらいたい。小さい裕のいう通り、幸村さんは今のところ強かった。いや、欲情していない僕は実はそこまで幸村さんの性欲を刺激しないのかも知れない。発作を起こしていないし、幸村さんにはそれを解消する使命も責任も今はないのだ。そういえば、発作もなく一緒に寝たのは初めてだった。一緒に眠ることに慣れた幸村さんの身体。そのことを意識するといまだに戸惑う。