「さーて、帰るか……それともこのままラブホでも行くか?」
「いいえ。2時間って約束で出てきましたけど?」

 恐ろしい提案を冷ややかにぶった切ると、歩きながら幸村さんが唇をとんがらせて僕に悪態をついた。

「ええぇ……ケチだなぁ。俺のこの気持ちをどうしてくれるの」
「これから寝ますから。疲れ切ってるんですよ。幸村さんだってそうでしょ?」
「俺は岡本と寝るほうが疲れが取れる」
「なにそれ!?」
「あー、そうかそうか! 抱かないから一緒に昼までホテルで寝ようや。心配すんな。お前んとこのベッド狭いからラブホな」
「なんなんですか! 騙されないですよ。帰して下さい」

 そう糾弾すると、幸村さんは切なそうな顔をしてポツリと呟いた。

「今日だけは一緒に居てくれよ」
「約束でしょ?」
「お前の発作と理由を知ってから、俺はずーっとずーっと心配してたんだ。俺を呼べって言ってんのに俺に助けもさせなかった。それがようやく安心できた日ぐらい、一緒に居させてくれや」
「そんな言い方、ズルくないですか?」
「そこまで計算しちゃいないって」

 幸村さんはたまたまあった電柱に手を着いたかと思うと、その場で足を止めてガックリと項垂れた。ふざけてると思ったその姿と声が心底疲れ切っていて、ずぶ濡れの犬みたいに急に見えてきたのが運の尽きだった。僕のせいでずっと心配させてたというのは本当だろう。僕は関わりを頑なに拒否し続けていた。そして、その拒絶を常に押し切って僕に関わろうとし続けたこの人が、僕のために初めて泣いた顔を見てしまった。幸村さんは欲情していない僕を抱いたことは無い。その信用だけはあった。

「ほんとに一緒に寝るだけですからね」
「よっしゃ! それで良いんだって。ヤリ殺したくねぇし。俺はかなり懲りてるんだぞ」
「強引なの、全然変わんない……」
「お前が押しに弱いのもな。こうやって皆んなたぶらかされるんだって」
「やめてください! 言われたくないのわかりませんか……死にたくなる。帰りますよ」
「ごめん、やなこと言ったな。もうそんな思い詰めんなって。絶対抱かないから。俺は自制心の塊だからな」

 温泉付きのラブホが山の向こうにあるとかで、そこから僕たちは30分ほどなだらかな林道を登って下った。遠いほうが人目につかなくて良い。あまり言葉もないまま僕たちは目的地に向かった。幸村さんはハンドルを片手に、ダッシュボードに転がっていた食べかけの冷えた肉まんを無言で食べていた。林を抜けると広い敷地に低層の白いホテルが見えてきた。
 年越しセックスでカップルが泊まるのか、冬休みで貧乏な旅行者がホテル代わりにするのか知らないが、このラブホはほぼ満室だった。一番値段の高い広くて豪華な部屋が一部屋だけ空いていたが、幸村さんは躊躇なくその部屋のボタンを押して鍵をゲットした。ラブホになんか来るのは中学生の時に小島さんに連れられて行った以来だ。二人で一緒に風呂に入っても、そこで幸村さんが勃起しても何事もなく風呂から出た。だが、希望通りの大きすぎるくらいのベッドに潜り込んだ途端、幸村さんがパンツ一枚のまま僕を後ろ抱きしてきた。いつものごとく、犬にじゃれつかれた気分になる。

「あー! 岡本岡本!」
「近いですって! 自制心はどこに行ったんですか?」
「こうしたまま寝たいんだよ」
「勝手にして下さい。僕は寝ます。欲情したら自分で抜いて下さいね」
「うん、それでいいさ。一緒に寝たいだけなんだ。おやすみ」

 そう言うか言わぬかのうちに、幸村さんの寝息が聞こえてきた。勃起したペニスを仙骨に擦り付けられることもなく、キスもしないのは初めてのような気がする。僕はその寝息に安心したのか、記憶がそこで曖昧になった。お互い、目覚ましを掛けるのも忘れるくらい疲れ切っていた。

(ゆきむらさん、はなしきいてくれたね。やさしいね)

 小さい裕の声が最後に聞こえた気がした。それにしても、こんな正月は初めてだった。