幸村さんは年の瀬の喧騒を狙った連続ひったくり犯と連続放火犯を同時に追っていた。ひったくりはナンバープレートを隠したスクーターで背後から肩に掛けたバッグを奪い取る手法だったが、抵抗した被害者が肩を脱臼したり、高齢の女性が転倒して骨折したりと、既に盗難のみならず何件かの傷害罪も加わるような事件になった。
 放火は不幸中の幸いか死亡者はまだ出ていなかったが、ボヤで済んだ家、全焼、そして半焼と3件連続で起きて、一酸化炭素中毒で病院に運ばれる人も居た。地域はバラバラで、目撃情報が極端に少なかった。放火は今は止まっているようだが、また再開されるかも知れず、警戒が解けない状態が続いていた。そして冬によくある普通の失火が混じり合い、管轄区域の消防車の出動回数は増える一方だった。
 管轄内は混沌とした状況が続いていたが、人通りの少ない駅裏で主婦からバッグを奪い取ったスクーターの男を、偶然通り掛かった空手部の大学生が果敢に体当たりしてスクーターごと転倒させ、そのすきに主婦が通報したため警察はようやく連続ひったくり犯を逮捕出来る運びとなった。だが放火犯は未だに尻尾を掴めなかった。

 清水センセはというと、死にかけた人間を死なせないための世話でてんてこ舞いしていた。冬に多い脳梗塞や脳出血や心筋梗塞の詰まったり切れたりした血管をひたすらバルーンやステントで治療し続ける毎日。勤務時間内、時間外、分け隔てなく緊急の処置で病院に呼ばれ続け、その間に次々やってくる交通事故や飲酒関連の検死に呼び出される。こちらも寝る時間なんかないというような状況だったが、そこをくぐり抜けて清水センセは毎晩僕に電話を掛けてきた。

「……でもさ、あんまり生きている人を処置してるとなんで救命しているのかわからなくなりそうで怖いんだ」
「そりゃそうでしょう。僕はストレスで出来ませんよ。読影だけやるのはダメなんですか?」
「ダメ。お金は要るでしょう? 君が持ってないからなおさら。裕くんを守るためなら良いんだよ。良いんだけど……なんと言えば良いんだろう……錯乱しそうな恐怖感っていうの?」
「いや、あの、無理しないで下さい。ほら、お金ならお父さんの遺産があるって」
「あ、そういえば裕くんに100万渡しとかなくちゃ。忘れてた」
「いや、それは勘弁してくれませんか」
「裕くん気にするからあげないよ。預かっといてってこと。うふふ…いっぱい預けちゃおう。下手すると逃亡中に僕の口座が凍結されたりするかも知れないし。なるべく現金化しておかないとね。協力してよ」
「それは…そうなんですが…」
「あぁ……裕くんの声だ。ずっと聞いてたい」
「こんな声のどこが良いんですか」
「うっとりするほど生気がなくて、なんていうか…聞いているだけで自分を取り戻せるなって」
「見失うの間違いでは?」
「間違うことなんかないよ。やっぱり死体は僕を僕自身に引き戻してくれるんだよ。だから検視があってほんとに良かった。死体を見ていると発狂しないで済む。明日もまた電話に出てね。お願い」

 日々の電話を聞いていると、もしかして清水センセはまだあの性的虐待と死という解放を患者と死体の間で日々繰り返してるんじゃないだろうか、そんな考えが浮かんでくる。発狂しそうになるのは、治療の形式が無意識下でセックスの記憶と繋がるのではないだろうか。もしくは、同じような病気で亡くなったお母さんが生き返ってしまうかも知れないという恐怖。検視で自分を取り戻すのは、他人の死体を通じて無意識下では常に母親の死体を見ているからではないだろうか。それは僕にも投影されていると思われる。それは結局、母親から愛されたいという渇望だと思うと、僕を愛しているというのは清水センセの錯覚のようにも思う。しかしそれも僕の単なる想像に過ぎない。