そう考えてみると、幸村さんという人は実は普段の行動や主張や要求が自分本位過ぎて隠そうともしないのは、罪悪感を感じる発想がないということなのかな、と思った。警察署のタイヤ置き場事件を思い出す。あんなこと普通は出来ない。そして不法に監禁して手錠で拘束した人間にあんなタイミングで告白することもフツーは無理だ。そしてその後思うままに激しく犯された。よくよく考えてみれば、悪魔じみていると言えなくもない。同僚や関係者から恐れられるのも容易に理解できる。どのような自分にも正直なことの暴力性と、その強欲さを許していることの勇気を同時に感慨深く思った。その中核にある自分の中の絶対的な善を信じ切っているからだろう。そしてそれを上回る自分の自己中で利己的な性質に絶望を感じた。僕はこんな頑丈な人間もやろうと思えば打ち砕ける。事実、打ち砕きかけていた。

 それにも負けずに、幸村さんには近いうちに寺岡さんに助けを求めたことを言わなければならない。そして、寺岡さんの手駒として働いてもらわねば。期せずして、今日の電話のお陰で、今まで頑なに掛けることのなかった、そして登録しなかった幸村さんの電話番号が、僕の携帯に再び履歴として残った。僕は仕方なくそれを電話帳に登録した。

 幸村浩輔

 今更ながら。もう発作も起きなくなったのに。
 変な感じだったが、言い知れぬ敗北感と、意味不明な安堵感が僕の気持ちに同居していた。ところで考えてみれば、僕は一晩で3人の人間と電話したんだなぁ。そんなことを思っているうちに、いつの間にか僕も寝落ちしかけていた。安堵と絶望。薬にしたら死んだように眠れるはずだ。もう二度と意識が戻ってこなきゃ良いのにと、遠のく意識の中でいつものように思った。