電話を切った僕は、しばし自分の取った行為、寺岡さんに電話するということ……正確には寺岡さんに助けを求めること、に圧倒されてその場から動けなかった。携帯が手と指に張り付いて取れない、と思ったら自分で握りしめていた。関節が固まるまで握りしめながら通話していたのだろう。しばらく手の開き方がわからなかった。
 それにしても巻き込まれた人からありがとうなどと言われても意味がわからない。人を欺くのが天性なのだろうか? いや、僕が寺岡さんを欺けることなどない。ではなぜ僕が受け入れられているのかがわからない。小さい裕が言うところの“退屈”が故なのか?

 そして思う。こんな人間がなんのために存在してきたんだろう、と。

 遠慮も危惧もかなぐり捨て助けを求めた。だが、ホッとするのかと思いきや、本当にこれで何かが解決するのだろうかという疑心暗鬼が霧のようにゆっくりと頭の中を覆っていく。漠然とした不信感。自分にも、世界にも。ホラー映画のお決まりみたいだ。安心するとよからぬことが起きるのだ。中学生の時に佳彦の居る図書館で借りた本で、『オーメン』というオカルト映画を脚本家がそのまま小説にしたものを思い出す。黙示録に予言されていた悪魔の子供が現代に蘇って次々と邪魔な人間を殺していくという話だ。僕の人生では邪魔な人間は一人しか居ない。僕自身だ。僕自身を殺させるために次々と罪人を産んでいく一風変わった悪魔が僕だろう。オーメンの主人公である悪魔の申し子ダミアンみたいに罪悪感など無ければ良い。さっさと自殺するし、躊躇なく清水センセに殺してもらえる。僕に良心など無ければ良かったのに。いったい僕の良心はどこで芽生えたのだろう? それが不思議だった。

 清水センセのことを思い出したら、段々と彼は今どうしているのかが心配になってきた。寺岡さんに電話する前の頭のおかしくなりそうな焦燥が消えて、清水センセに縋りたいという渇望も今は落ち着いているのだが、寺岡さんのお陰で少しだけ心の余裕が出来たらしく、自分のクライシスよりも他人の心配に目が向いたのは良いことではあろうと思えた。