僕を止めてください 【小説】



「お、おい、お前、勝算はあるのか?」

 幸村さんが慌てて本を手で押さえた。

「この実験は勝算とかそういうものと無縁なんですよ。幸村さんだってそうでしょ」
「まぁ……そうだけど」
「だったら、手をどけてくれませんか」

 幸村さんの手がためらいながら本から離れていった。僕は表紙に手を掛けると、清水センセに言った。

「殺意はね、言葉なんかじゃ、伝わらないんですよ」

 そして、再びそのページを開いた。





 
 
 (モノクロの画面を真ん中から切り裂くように、人が吊るされていた。)
 (縊死。)
 (どこかのビルか何かの吹き抜けの階段の手摺だった。そこに白い太いロープが結んであった。)
 (太いロープは不自然なほど白かった。屍体の顔は男。彫りの深い外国人だった。
 (床には黒いものが滴って、それが溜まっていた。)


(気に入ったかい?)


 (頭の潰れた屍体が地面に固まっていた。)
 (やはりモノクロで、それは多分飛び降り自殺の現場写真だった。)
 (関節がありえない方向にネジ曲がった脚、地面に広がる体液。)


(どう?)


 (黒い水の張られたバスタブに胸まで浸かって絶命している女の人が現れた。)
 (黒いのは多分血だろう。バスタブの中で手首を切ったのだ。)
 (風呂場のタイルの壁に顔をあずけ、目を閉じていた。半開きの口もと。)
 (水を吸った色の薄い西洋人の髪の毛が顔にまとわりついている。)
 (タイルの床に落ちているカミソリ。これも白黒の写真だった。)



 (ベッドで目を見開いて身体をよじって死んでいる女。)
 (口元から黒いものが溢れ、顔を汚していた。服毒死だろう。
 (枕元に空の薬瓶が転がっていた。)


(すごく、熱心に見てくれてる? だったら嬉しいなぁ)


 (右のコメカミを銃で自ら撃ちぬいた若い男が椅子に座っていた。)

 (死斑の浮き出た美しい凍死の遺体)

 (水を吸って樽のようになってしまった水死体)

 (腐爛屍体の剥きだした肋骨)

 (焼死体の黒く糜爛した皮膚……)






「『自殺…全部…自殺の現場』……あのとき僕は、あの人にそう答えた」

 ページをめくりながら、再び細かなノイズが耳の奥で鳴り始めた。フワッとした下腹部の痺れがそれに続いた。この感覚に、違和感に満ちた感覚に、初めて起こった性感に、死とは真逆の生の熱に、僕は嫌悪感と共に取り憑かれたんだっけ。何度もこうやって、実家の自分の部屋でページをこんな風にめくった。

「彼は『殺したい』なんて一言も言わなかった。僕が首を絞められて失神して犯された後『なぜ、殺さなかったんですか?』って訊いたら、驚いて、そして誤魔化したみたいに笑ったんだ」

 そして僕も笑った。