「わかりますか」
「わかるよ。そんなはしたない顔したら」
「え、そうなんですか」
「あ〜あ。あの道化師野郎の気持ちがわかるなぁ…誘ってるんだよね、全身全霊で。自覚はないんだ」
「困りましたね」
「他人事みたいに言わないの。そんな顔してもどうせ君は断り続けるんでしょ?」
「ええ、すみません。気をつけます」
「気をつけてどうにかできることなんかあるのかな」
独り言のように言った後、清水センセはさも可笑しいとばかりにクスクス笑っていた。そして笑いながらポンポンと僕の肩をたたいた。
「まぁ、いいや。頑張って気をつけてね、裕くん」
「ええ」
そのまま彼はまた寝室へと消えていった。始まる。アレがここに来る。とうとう僕は再びアレを開く。
彼が居間に帰ってきた。胸に黒い本を抱えて。そして僕の前に立った。
「じゃ、始めようか。どう?」
「はい」
「ほんとに、良いの?」
「はい」
「覚悟は出来てるんだね」
「ええ。先生はどうですか?」
「うん、僕も、良いよ」
「では、すいませんがよろしくお願いします」
「わかった…はい、これ」
再び僕の手の上にこの本が乗せられた。前回より優しく。ゆっくりと。表紙には変わらず白抜きのアルファベットが並んでいた。14年前のあの日と変わらないその手触りと文字と、重さ。
―Suicidium cadavere―
Suicidium〈自殺〉
cadavere〈屍体〉
「大丈夫?」
「さあ」
「開けれる?」
「開きます」
「そう…でも、無理だけはしないで」
「はい」
はい。もう、戻れない。
今から中学校の卒業アルバムを開くのかな。『Suicidium cadavere』を目の前にして僕はそんな気分になった。緊張はあった。怖さは、なぜか無い。それが不思議だった。これから僕はペニスを硬直させて激しい性感に打ちのめされるかも知れないのに。それを目の前でこの人に見せるかも知れないのに。そして僕はゆっくり、硬くて黒い表紙に指を掛けた。心臓の拍動が耳に直接響いた。
覚えている。左綴じの表紙の下にはつや消しの黒いラシャ紙みたいな見返しがある。そしてその次に、ツルッとした厚手の白いとびら。黒い文字で再びタイトルの『Suicidium cadavere』が何の変哲もないセンチュリーのイタリックで印刷されている。思い出して、僕はゆっくりと表紙を開いた。



