だが、その夜、僕から清水センセに電話を掛けることはなかった。向こうから掛かって来たからだ。
 帰宅してすぐにカバンの中で電話が鳴った。清水センセはまたしてもパニクっていた。前に僕のマンションに来てゾンビのように迫ってきた感じのやつだった。いや、それよりもずっと混沌としている気がする。

「はい、岡本です」
「あ…掛かった…」
「ちょうど良かったです。僕も掛けようかと…」
「裕くん? 裕くんだよね?」
「あ、はい。そうですが」
「君は…君は本当に存在してるの?」
「は?」
「現実なの?」

 とてもラジカルな質問だったが、ラジカル過ぎて面食らった僕は何をどう答えたらいいのかと一瞬詰まった。そして答えるより先に問い掛けることにした。

「どうしたんですか?」
「お願い答えてよ! 君は僕の夢の中にしかいないなんてこと無いよね?」

 寝起きなのか? 悪夢でも見ていたんだろうか。今にも泣きそうな声に今度は即座に答えていた。

「ないです」
「それをどうやって確かめられるの? ねぇ、どうすれば今、夢の中じゃないって証明できるの?」
「え」
「僕は今…夢を見てるのかどうなのか教えてよ…」
「えっと、先生は起きて僕に電話してますが?」
「証明できる? これが裕くんに電話してる夢じゃないって証明できる?!」
「ちょっと、先生、どうしましたか? 一旦落ち着きませんか?」
「わかんないんだよ…なんか…君がこの世界に本当に存在するのか…それとも自分がずっと覚めない夢の中にいるのか」

 こういうのを精神医学の授業で習った気がする。現実と夢の区別が付かなくなったりする。えーと、解離、だったっけ。いつもおかしい清水センセがさらにエスカレートしている。一体なにがあったんだろう?

「いつからですか?」
「君はどこにいるの?」

 僕の問いには答えない。

「自宅にいますよ?」
「電話すればハッキリするって思ったんだ…思ったのに…全然わかんない」

 そして黙った。息遣いだけが聞こえてくる。清水センセの狂気が増悪しているようだった。それとも僕にコンタクトしたいだけの演技? 演技とは思えない狼狽っぷりに、さすがの僕でも心配になった。どうすれば落ち着いてもらえるだろうか。