(裕くん、君こそ、あんな動画僕に見せられてさ、なんで僕とまた会ってくれるの?)

 ほんと、なんでなんだろう。
 僕はその時「あなたが僕を殺してくれるって言ったからです」と答えた。彼と逢った初日の苛酷さは東北に来たこの数年で1、2位を争う凄まじさだった。それまでの1位は幸村さんのタイヤ置き場でのリンチだった。あの日を凌ぐか、それと同等のダメージを負ったはずなのに。後日僕は、自分から望んで彼の家に話に行き、同じ部屋の同じソファで、頭の壊れかけた彼と一緒に珈琲を飲んで、仲良くメモリアルパークをのんびり散歩して話し合った。穏やかな日常を取り戻したみたいに。
 壊れてるから。彼も、僕も。“破れ鍋に綴蓋”ということわざがあるが、壊れた鍋には壊れて繕った蓋くらいが釣り合ってる、というような意味だ。僕が恐れてるのは、割れた鍋である僕とだけ釣り合うフタのはずが、彼の日常業務はそれほど壊れてなく、僕にしか壊れた面を見せないで、むしろ真っ当に社会性と公共への貢献を多方面で示していることだった。彼と僕では価値が釣り合ってない。人としての価値。それが彼に僕を殺させないブレーキになったのだけど。
 でも彼にとっては僕との価値は逆転しているみたいで、それが僕に甘えを許している。僕に対する全肯定。まるで自分が下僕だとさえ言わんばかりの。言いなりにさせられてきた経験しか無い僕にとって、この関係性は斬新すぎてどうしていいのかわからない。まるで二人で向かい合って土下座してるみたいで、客観的に見ると「どうなってんの?この人たち」という感じだった。
 羽交い締めにされて、キレて怒って泣き崩れて、なぜか身体だけ預けている幸村さんとの関係が胸の端っこで疼く。藻掻き疲れていたといえば、この人とのことで僕のヒットポイントがあと一撃で0になるタイミングで清水センセが登場してきたということなのかも知れない。