朝から雪が降っている。久しぶりのひとりの日曜日だ。目が覚めてバルコニーの窓を開けると、街が白くなっていた。昨日は午後から冷え込んでたからな。ひんやりした湿度と空気。頭と思考が冷えるのが心地よくて、しばらく窓を閉められなかった。雪の街は静寂に包まれている。完成された景色と天候。風はない。音もない。しめやかに降りてくる羽のような白い弾幕は、狂乱に打ちのめされながら頑張った最近の日々を報いてくれる贈り物みたいで、思わず裸足でバルコニーに出た。

 ほんとうに頑張った……のかな。
 白さの中で考えている。またこの先、変わらぬ日常が続いていくかを。決定的な約束と混乱の中での覚悟が、生命の中の熱をどれだけ冷却出来るのかを。変化を渇望している自分と、いつも何も変われない自分への強烈な不信が交差して胸の中で渦巻く。死ぬまで静かに生きるだけのささやかな願い。それは手の届かないほどの高望みなんだろうか。雪雲を見上げる。灰色と白の曖昧なコントラスト。舞い落ちるものに手を伸ばす。この景色に融けこんでしまいたい。
 清水センセの家で過ごしたこの2日の僕はあまりにも不用意で、誰にも意識を向けずに生きていこうとする手綱を半ば諦めのように緩めてしまっていた。

 疲れた。それだけなのかもしれない。疲れただけで緩めて良いものじゃないことくらいわかってるはずなのに。清水センセの言葉尻に安易に乗ってしまうことを許した。清水センセを死なせないことより、清水センセの人生の意味を尊重している。いや、違う。僕が無視したところで彼は耐えるだろう。そもそもそれが屍体が好きということだ。彼は僕の意識を欲しいんじゃない。僕という屍体と共に居たい。

 僕を殺してそばに置いておけば、それが最適解だ。僕の願いは叶い僕の死神としての凶意はなくなり、彼は満足する。断ったのだ、それを。僕は僕の意志で。
 その結果があの曖昧さだ。僕は流されてる。どういう心境なんだろう? 降りしきる雪を眺めながら、あるかないかの気持ちを辿る。幸村さんのような独善的な言動に似ているようで真逆の、どこまでも僕の願いを受け止めようとする意志について考える。有能な一人の社会人である彼。誰にも明かされなかった深い心の傷。常に提示される選択肢。彗星みたいな流れ弾の銃創痕。メモリアルパークの静かな朝。結局開かれなかった懐かしい黒い写真集。そして、僕の願いが彼の願いと完全に一致する狂気じみた“鍵と鍵穴”。場面を俯瞰していく視点を更に上に上げていくと、不意に現実を無視したどうしようもないある感情に気づく。どんなに気が狂っていても、僕を全人生をかけて殺す約束をしてくれる彼への……
 彼への、感謝。

 それを思考の中で言語化した瞬間、僕にまだそんな感情があったのか、と切なくなった。生きた人間で、しかもあんな頭のおかしい人に対してそんな人並な感情を自分が持てるのかと。そんなことを感じたのは母親に対してくらいで、自分に呆れ果てて力の抜けた身体を支えるために、雪の薄く積もったバルコニーの縁に両腕を乗せた。冷たい。そのまま、重ねた前腕に突っ伏した。首筋に雪が当たって融ける。動けないし、動きたくもない。トレーナーの袖が解けた雪で濡れ始める。どうすればいいんだ、この感情を。自分のことしか考えていないただの自己中だったんじゃないのか?僕という人間は。感謝に報いたいと思うゆえの無意識の不用意さ? そんな優しさが僕にあるのか? いや、人を無視するのに、もう疲れただけでしょう? ただの甘えなのか、僕のことなら何でも受けとめる清水センセへの。侮ってると言われても否定できない。正確には侮って“いた”だが。