僕を止めてください 【小説】




「君に安心をあげられて嬉しいよ。気持ち悪い話にも沢山共感してくれたよね。まさかこんな日が来るなんて」
「言いたくないくらい嫌なことを根掘り葉掘り訊いてしまって、すみません。こんな辛いことだったなんてわからなくて」
「根掘り葉掘り…人に興味のない君に根掘り葉掘り…こんな幸せなことあるのかな?」
「セカンドレイプみたいになってしまってませんか?」
「そりゃ、最初は辛かったけど、今は言えてよかったって思ってる。裕くんが僕に興味を持ってくれてるなんて…頑張った甲斐があったよ。幸せでまた泣いちゃいそうだよ」
「無理に頑張らせたんでしょうか。やっぱりすみません。辛かったですよね」
「ううん、謝らないで。僕さ、変だと思うかも知れないけど、今、初めて、母親から酷いことされて良かった、って、思ってる…」
「え?」
「君に話してって言われて、真剣に聞いてくれて、その上同情までしてくれて……これってどれだけ特別なことなんだろうって」
「いや、あの、僕は結構酷いことしたと思うんですが」

 だんだん、清水センセの顔が恍惚としてくるのがわかった。

「違う…違うんだよ…どうしよう……僕の中の最悪な記憶が、僕の心を喜びで満たすための道具として機能してるんだよ? どういうこと?」
「それは盛り過ぎでは…?」
「憎しみを手離せるなら盛り過ぎでも勘違いでも構わない」

 清水センセは真顔になり、拳を握りしめた。

「心と身体をめちゃくちゃにされたんだよ。実の母親に人生を押し潰されたんだよ。そう思ってたのに…許すつもりなんかこれっぽっちも無かったのに! それが母からの最大のプレゼントだったとしたら、僕はたった今、救われるんじゃない? ねえ、裕くん? 君の関心を数十分僕にくれた母の行為は、それだけで許されていいって思えたら? 僕の憎しみと恨みと罪悪感を君の同情と関心と引き換えに出来たんだとしたら? 僕は救われるんじゃない? ねえ、裕くん! ねえ…ゆうくん…」

 最後には消え入りそうな声が掠れていた。その後に両手が顔を覆った。両肩が震えて、清水センセは再び違う嗚咽の中に溺れていった。長い長い絶望だったろう。その残酷な日々の意味を作り変えられる可能性を僕のような無関心な死人に託し、小学生のように泣きじゃくっている清水センセの声の切なさに、胸が痛んだ。その秤に乗るような価値が僕にあるのか、と。