自殺ではなかったようでホッとした。クモ膜下出血は、病的出血と外傷による出血とがある。病的なものの多くは脳動脈瘤の破裂によるものだが、外傷性の場合、多くは転倒などによる頭部の打撲や殴打の衝撃で脳挫傷に伴って生じるし、まれに潜在的な動脈瘤が外的な衝撃で破裂することもある。
「そんなんで、葬式まで周りも落ち着かなくて、大人たちがバタバタしている中で僕は何も出来なくて茫然としてた。でも僕の中はショックと安堵の2つの気持ちで引き裂かれてた。母が死んでしまったショック、母からもういやらしいことをされなくなって、父親に内緒にしてなきゃいけない絶望感が消えた安堵、そのふたつ。母親が死んでホッとしている自分が許せなかったけど、母を憎んでたのは事実で、父にも母にもおどおどしなくていいって思うとその開放感はすごかったんだ。そして、これは、母に天罰が下ったと思うようにした。僕のせいで母が死んだと思いたくなかった。どこかで、母がおかしくなったのは自分のせいかも知れないって、思ってたから。なぜ、イヤだって、一度も言えなかったのかって」
「だって、怖かったんでしょう? 無理ですよ」
理不尽な自責の念が未だに彼を蝕んでいるのだろう。子どもというのはそういうものだと、虐待児の解剖の授業で講師が言っていた気がする。
「頭ではわかってるけどね。気持ちに整理が着いてはいないよ。ただね、お通夜で動かない母の屍体を見てたら、失ったものがようやく帰ってきた、っていう矛盾した感情がこみ上げてきたんだ。死んでしまって喪ったと同時に、死んでおとなしくなって僕に非道いことしなくなった母は、僕にとって安心な母親に戻ったって。そう思ったらわんわん泣けてきて、でももう生きた母は帰ってこなくて悲しくて泣いて、もう何がなんだかわけがわからないまんま、死んだ母親の隣で今までの苦痛を吐き出すかのように泣いて泣いて。だから、元々の性癖もあるけど、屍体が安心感と復活の象徴なのかもね、僕にとって。変な話だけれど」
清水センセの二面性の奇妙さの原因が少しわかった気がした。出来事の気持ち悪さと失われたものが大きすぎて聞いている僕の吐き気はずっと続いていた。こういうのを胸糞が悪い、というのかも知れない。佐伯陸の告白もひどい事件だったが、清水センセの体験も目に余る非道さだった。そして僕に同情する気持ちもわかる気がした。



