父親は僕の家の方が居なかったかも知れない。メシ、風呂、晩酌、寝る、勉強しろ、ママの言うこと聞け、すらなかった。うちの母親はあの夫で満足しているのだろうか。それとも僕が知らないところでまっとうなコミュニケーションを取っているんだろうか、僕が知らないだけで。
物語の半ばでも僕の性的トラウマより清水センセの方がはるかに深刻に思えた。母親もすでにノイローゼとか、もっとヤバい精神状態であった気がする。父親から娘への近親相姦はよく聞くが、母からその気の全く無い息子への過干渉や過保護以上の性的な関係というのは、余り聞いたことがない。
「僕が母親の“男”になったその日から僕は母親を失ったって思った。もう二度と母というものは自分の人生に戻ってこないんだなぁって。僕に女の顔して忍び寄ってくる知らない頭のおかしな人、っていうか。その日から人生が不可逆的に変わり果た感覚になった。だから小学校の4、5年の頃のことはあんまり記憶がないんだ。普段の生活の記憶もあんまりない。ひたすら恥ずかしくて重苦しい秘密の時間の感覚だけが残ってるだけの居た堪れない年月だったね。拒絶できない母がそっと部屋に入ってくるその絶望感の中で、行為が気持ちよくなっても終わった後の嫌悪感が凄まじかったし、気持よくなくてもその時間がひたすら辛かった。その関係が母親が死ぬまで続いた」
「え……どれだけ続いたんですか」
死ぬまでという言葉にゾッとした。それはどれほどの月日の長さだったのか?
「前にも言った気がするけど、僕の母親は早くに死んだって」
そんなことは聞いても忘れてしまっていた。
「小6の冬だったな。学校から帰ったら母がリビングに倒れててさ。発見したのも僕でさ。呼んでも揺り動かしても起きなくて、手を触ったらもう人間の体温じゃなかったんだよね。その瞬間、僕はこれは非常事態だって震えた。咄嗟によく家に来てた母方の祖母の家に電話した。お母さんが倒れてて、冷たくなってるって言うと、祖母は、『すぐに119に掛けて救急車呼ぶから、電話切って待ってなさい、おばあちゃんもすぐ行くから!』って言ってくれた。でも一人で待ってるのは長かったなぁ。救急車が来て、玄関で救急隊員の人を見たら、ホッとしたせいかそこで座り込んで動けなくなった。その後、警察も来て、僕にいろいろ聞いてきた。祖母もそのあと来て僕の面倒を見てくれた。でも母親はそのまま運ばれなかった」
典型的な異状死体。まさか自殺だったら、と思うと、その先は聞きたくない。
「検視じゃ済まなかった。それは僕が医学生になってから父親から聞き出したんだけど。母は若かったし、僕が知る限り特に通院もしてなかったからね。でも、自覚症状無くても高血圧だったりしたのかなぁ。祖父は僕が幼稚園の頃に脳出血で亡くなったらしいから、遺伝もあったかもしれないけどねぇ。僕が帰ってきたとき玄関の鍵は開いたままだったし、盗まれたものがないかどうか、怨恨の線とか警察が父親に調べさせたとか言ってたな。でも特にそういうのは無くて、結論は内因性急死だよ。警察は事件性が無いって。司法解剖は病的なクモ膜下出血だったらしいよ」



